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Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2013年1月22日

2009-2011 ルワンダでの日々。

霧に包まれた森。
 赤い泥の道。
 闇夜にあたたかな人の気配。
 生きている実感。


 到着の日のできごとからどうぞ。

7/18/2009 ざざーっと三週間【前編】




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2012年3月5日

無くても生きてこれたものに囲まれて


まるまる2年ぶりの日本に降り立つやいなや、
“帰国ショックを乗り越える”という題のセミナーで言われた言葉。

「任国での2年間のことは忘れ、日本人になりなさい」

そんな無茶な、と思ったものの、
久しぶりの日本には意外とすぐ慣れて、
あっという間に帰国直後の感動も薄れていくのに、
なぜかこのブログを上手に締めくくることができないまま、
月日がどんどん過ぎていきました。

前回の日記にも書いたとおり、
「帰国ショック」から立ち直れない自分に
向き合うことができなかったからです。

今回をもって、このブログの最終回としたいと思います。

===========================

「帰国ショック」っていうのは単なる「うらしまたろう状態」のことだろう
と思っていました。

でも違いました。

ほんとうの帰国ショックは、
1~2ヶ月してからジワリジワリとやってきます。
それは自分でも説明のしようがない「違和感」で
もしかしたら周りもわたしに対してそういうものを感じていたかもしれません。

たぶん、自分の何かが変わってしまった、ということ。

観光や見学をしに行ったのではないので、
歴史も風土も信仰も常識(だと思っているもの)も違う人たちに
自分を受け入れてもらうために、
やっぱり自分が変化せざるを得なかったのです。
もちろん外見とか生活様式のことではなく、もっと根本的なところの話です。

異文化に適応するということは
「変わってゆく自分」に適応することだったのかもしれません。


体裁を整え、かっこつける余裕はありませんでした。
まるごとの自分で体当たりするしかなかったのです。
そして、
たぶんそのせいで、「生きている」という感覚がすごく強かったのです。

最低限必要なものを手に入れたり、食べたり、排泄したり、眠ったりするために
いちいち手間と労力が必要で、
それらの作業が、「生きている」こととすごく関係があって、
一方で、うっかり「死んでしまうかもしれない」ことも、
すごく当たり前のこととして近くに感じていました。

たらいで洗濯をしながら背中で浴びる日の光とか、
便器の横でふるえながら浴びるぬるま湯とか、
派手な柄の腰布からしゃんと伸びた黒い足と、その指にべったりとつく泥の色とか、
そういう感触やにおいが、
自分の皮膚にじかにぶつかってくる感じでした。

それが、帰国してからは、
なんだか見るもの、聞くもの、触るものが、
薄いカーテンの向こうにあるように見えて、
録音した音を再生しているみたいに聞こえて、
ゴム手袋ごしに触っているように感じられて、
それに戸惑い始めたのが、帰国後1カ月くらいたってからのことでした。

「生きている」感じがしない。

自由に操れる母国語で、多彩な表現で上手に話しているはずなのに、
ほんとに大事なことが伝わらない。
水汲みも、火おこしも、必要なくて、時間はたっぷりあるはずなのに、
なんか気ぜわしくて
自分の思っていることや感じていることに向きあう心の余裕がない。

焦るばかりで満たされない。

それが、ほんとうの「帰国ショック」でした。
ルワンダでの生活に慣れる過程で経験した「異文化ショック」とはまた違う、
新たな戸惑いでした。
「でした」なんて書いているけれど、
今もやっぱり違和感だらけです。

でも、「だから協力隊になんて参加するもんじゃない」と言いたいのではなく
こんな振れ幅を経験し、乗り越えようともがいた経験そのものが
自分の力になっていくのだろう、ということです。

変化を受け入れる自由な心と、それに対応できる健康な体を大事にしたい、
今思うのはそんなことです。


ルワンダ人が笑ったときに見せる歯ぐきや、

駆け寄ってきて突然抱きついてくる子供の嬉しそうな顔、

朝日が昇るころ、冷たい朝霧を吸いながら散歩すること、

アマンダージをイジコマにひたして食べること、 そして

ギュウギュウ詰めのバスの中で爆音で流れる音楽、

そういうのがわたしの幸せの重要な構成要素だとわかったからです。




2年半という長きにわたり、このブログを読んでくださって
どうもありがとうございました。

2011年11月18日

ルワンダふたたび

これを書かないとこのブログを締めくくれない、と思いつつ
日々の雑事に押し流されてなかなか書けないまま
一ヶ月が過ぎてしまいました。

なかなか書けないほんとの理由は
自分の心にある。

なかなか乗り越えられなかった帰国ショック。

だけど今回、もう一度ルワンダに行ったことで
いろんなことが見えてきた。

やっぱりわたしはルワンダ人じゃない。
だけど、ルワンダはやっぱりふるさとだ。

それがわかった。



“視察の旅”(主催:協力隊を育てる会)


今回ルワンダに3ヶ月ぶりの里帰りをすることができたのは
このすばらしい企画のおかげ。

任地にいる隊員に会いに行きたい!という留守家族のためのツアーで
これに申し込むと引率者付きで隊員に会いに行けるのです。
その引率者というのは、以前その国に派遣されていた元隊員、つまり今回のわたし。
個人で航空券を手配して行くよりちょこっと高額ですが
アフリカなんて初めて!な方にはこの企画はとてもヘルプフルだと思います。

引率者なので、参加者の動きや体調に気を配って
ちょっと気疲れはしますが、
それでもやっぱりひさしぶりのルワンダはほんとに
「落ち着く~!!」のひとことでした。

そして、
同僚や近所の人たちに再会して、
「隊員じゃない状態=使命がない状態」だとこんなにも寛大な気持ちで接することができるのか!
ということも、発見。

それから、外国人にとっては住みやすい国だと感じました。
隊員としての日々には実にたくさんの制約があって、
その住みやすさをあまりを感じられなかったけど。



同時に、
こんな旅行や視察じゃルワンダ人の姿は何にも見えてこない、とも思いました。
今回、「これがルワンダ?まるで違う国みたい!」と感じることが何度もあったのです。
今回の参加者の場合は
自分の娘や息子である隊員からディープなルワンダについて聞くことができますが、
そうではない、よくある「ほんの数日の」海外視察を
日常からの一時的エスケープ以上のものにするのって簡単じゃない。


そんなことを思ったり。


次回、帰国ショックのことを書いて、このブログを閉じる予定です。

2011年6月23日

ただいまー!

すごいです。この暑さ。湿気!
まるでお湯の中を歩いているみたい・・・

ようやく日本に到着ですっ!!!
ただいまー!!

先輩隊員の帰国を見送りながらいつも
「わたしもこうやってルワンダを去る日が本当に来るのかなぁ?」
なんて思っていたけれど。

アフリカに初上陸して見るもの聞くものすべて想定外でオドオドしていた日々は
振り返ればそこにあると思っていたけれど、
気がつけばそれははるか昔。



エンテベ空港での乗り継ぎトラブルで
予定より1日遅れての到着です。
あのときはもうこのままアフリカ脱出できないかと思った!
さすが、最後の最後までやってくれるぜアフリカ!! ヽ(´▽`)/

今週いっぱいは帰国プログラム(いろんな手続きや健康診断など)のために
ここ東京にいることになります。
鹿児島に到着するのは26日(日)の予定。


とにかくね、すごいです。
まだお願いする前からすべて先回りして用意されているんです。
丁寧でてきぱきしたカスタマーサービス。
細かく言うとキリがないんですが
もうなにもかもが感動の嵐です。

でもやっぱりここで特筆すべきは
ごはんのおいしさ!!!

到着した翌朝、吉野家で朝定食を食べました。
卵と納豆をのせたごはんを口に入れた瞬間
なんかもう胸がいっぱいになって
涙がじわっと出てしまいました。
「おいしい・・・おいしい・・・」
とぼそぼそ繰り返しながら食べるわたしたち。

たぶんまだまだ感動は続きます。

2011年6月12日

送別会ウィーク

立て続けに送別会の日々。

まずは職場の事務の女性軍団と
その尻にしかれている獣医師たちが
うちに押しかけてきました。

女性陣、パクパク食べつつよくしゃべる。


プレゼントにもらった青いドレスをその場で着てみたところ。
みんな「ゆみ!すごく素敵だ!」と大はしゃぎ。
うれしいんだけど・・・日本で着たらちょっと変かも・・・?


お次は職場の別の同僚グループ。
わたしはひそかにこの人たちを「有閑マダムの会」と呼んでいます。
だってこのバー、入るだけで3000フランもチャージされるんです。
そんなとこ、ふつう入れないっす!
しかもウィスキーとか飲んじゃってるし!
ビロードみたいな生地の素敵な靴をもらいました。
さすが有閑マダムの会。
それから、「これはユミのお母さんに。」と、豪華な布地を手渡されました。


最後は聖歌隊のみんな。
ギスメンティの交差点の近くにあるレストランにて。
みんなほとんど学生なのに、この夜、わたしには1フランも払わせなかったんです。
なんて優しい人たちなんだ・・・
プレゼントのマグカップには、
「ユミはわたしたちにとって天からの恵みだ」
ってプリントされていて
わたしは帰宅してから泣きました。


あわただしい帰国前の日々。
片付かない荷物たち。
だけど心は決まってる。
わたしはこの国に必ず帰ってくる。

2011年6月9日

アバラは大丈夫

アバラ事件で心配のメールがたくさん来てしまいました。
ごめんなさい。

結局、気合いで最後の移殖を乗り切り、
その後、あまりにも痛いので病院に行きました。
JICA指定のプラトーポリクリニックにはレントゲンがないので
そこからまたバスに乗ってレントゲンセンターみたいなとこに撮りに行きました。

で、結論としては、アバラが二本折れていました∑(; ̄□ ̄ 
超びっくりー!
生まれて初めての骨折が
アフリカで牛に突き飛ばされて・・・だなんて予想もしなかったです。
いやーこれも思い出になりますね!
なんてのんきなことを言えるくらい、
今は痛み止めのおかげでだいぶラクになってきましたよ。

さて、そんなことやってたら
ルワンダ出発まであと10日になってしまいました。

職場の送別会はルワンダ式で、
見送られる側なのに家に押しかけられるシステム。
そしてごちそうしないといけない。
がしかし、今回はなんと同僚たちでお金を出し合って買ったらしい
「God bless you」と書かれたブロンズ像みたいなのと、
真っ青なドレスと、
それに合せる真っ青なピアスとネックレスとブレスレットと、
真っ青なバッグと、少しのお金が同封されたメッセージカードをもらいました。

いやーびっくりびっくり。
ブロシェット(やぎの串焼き)ふるまってよかった。

JICA全体の送別会では、
後輩隊員たちによる踊りや、替え歌や、似顔絵や、
わたしたち帰国隊員それぞれのイメージで作ったというデザートの披露や、
なんかもう盛りだくさんでとっても嬉しかったです。

そして、お仕事のほうは、
フィールドワークをすべて終え、
あとは後任に引き継ぐための書類整理やら、
器具棚のラベル貼りやら、
受精卵の出納簿の管理をストアキーパーに教えるのやら、
なんかそういうこまごましたことを楽しみながらやってます。
こういう作業、好きみたい。

そんな今日このごろです。
日本はジメジメしているのかな?
みなさん、もうすぐ帰ります。
元気で待っててください。

2011年6月6日

なにごとも経験です

この2年間、いくつもの結婚式に参列したけれど
これが最後の結婚式。
花嫁は同僚のエスタ。

午前中の儀式は「グサバ」、日本の結納みたいなものです。
新郎になる男性とその親族一同が、新婦になる女性の実家へ行き
「どうか我々にお宅の娘さんをください」とお願いするわけです。

参列者、何時間待たされても文句ひとつ言わず座って歓談してます。
3時間押し。

さあ始まりました。
まずは、新郎側と新婦側の親族同士による交渉スピーチ。
「おたくの娘さんをください。」
「大事な娘です。代わりに何をくれますか」
「牛を1頭差し上げます」
「いやいや、一頭では差し上げられません」
みたいなやりとりを長々とするわけです。

交渉が終わると、牛が運ばれてきて
牛を扱う聖なる爺さんみたいなのがひとりで歌って踊ります。
今回は牛を持ち込むのは省略したらしく、
聖なる爺さんが歌っている間、たびたび録音テープから牛の鳴き声が流れていました。
それが済むと、親族や関係者のスピーチ。
この間、家の中ではドタバタと花嫁やブライズメイドたちの着付けが行われます。





花嫁といっしょにブライズメイドたちの登場。



「え!え!チャイナがいるぞ!」
「見ろ!チャイナだ!」

騒然となる会場。
あちこちから向けられるカメラ。
とほほ。。。

それから指輪の交換。


このあと、花嫁から花婿&花婿の家族への贈り物贈呈、
それから花嫁と花婿によるファーストバイト(お互いにファンタを飲ませ合う)、
そしていくつかのスピーチで、いったんここはおしまい。

はゾロゾロと教会に移動して、そこで結婚式です。
さらにまた移動して披露宴もあります。
まともに最後まで参列すると、夜の8時、9時までいることになるから大変。

でも、この日は折れたアバラが痛むので、ここで退散することにしました。

結婚式の2日前に突然頼まれたブライズメイド。
当日は想定外のりかちゃん人形みたいな衣装に一瞬ひるんだけど、
まぁこれもいい経験・・・かな?

着付けの人に
「えー!この子、なんで体の前と後ろが同じなの!?これじゃドレスが下がっちゃう!」
って言われたけど、そんなのルワンダ人と比べられても困るよね。

エスタ、ありがとう。
いついつまでもお幸せに。

2011年5月25日

テクノロジーフェスタと初めての怪我

いま、ブタレという南部州の町に来ています。
ここから車で一時間のところにある国営牧場で
例のごとく移殖の準備をしています。
シスター経営の宿泊施設、素泊まり3000円フランなり。
入浴はコンクリの上で水をかぶらないといけないけどそれは慣れてるのでOKなり。

がしかし、今夜はちょっと体がフツウじゃないのです。
それについてはあとで。


先週末、東部州のニャガタレという町で
同期の佐和ちゃんが主催する「テクノロジーフェスタ」の
お手伝いをしてきました。

セカンダリースクール(日本の中学&高校合体版)で活動する彼女も
わたしと同じ、あと一ヶ月たらずで帰国する隊員です。
2年間の集大成、満を持しての開催となるこのフェスタ、
日本の様々なテクノロジーを紹介した画像
(洗濯機から東京スカイツリーまで)を大画面で見てびっくりしたあとは、
各教室に分かれて隊員が披露する実験ショーを体験します。

理数科教師隊員である佐和ちゃんは
模型の風力発電で、電気が灯るのを披露。

コンピュータ隊員は、その場でネットワークを構築して見せて
ニャガタレセカンダリースクールのHP作成を体験させ、

土木隊員は大量の砂を苦労して運んで
地震のときの土壌液状化現象を再現して見せ・・・

そんなのが全部で14種類!!
生徒たちは前もって配布されたチケットを片手に、実験を見て回ります。

ちなみに、わたしとウッシー、獣医隊員ペアは
精子が元気に泳ぐ姿を顕微鏡で見せたあと、
屠畜場で買ってきた牛の子宮を使って
人工授精のデモンストレーションをやりました。
生命の神秘、です!
相手が思春期真っ盛りの子たちだからどうなるかちょっと心配だったけど
「今から、生きてる精子をみんなに見せますよ!」と言うと、
ワクワクした顔で隣の子と「生きてるんだって!動くのかな!?」って言ってるし、
「一ミリリットルの精液に一億の精子が含まれてるんです」と言うと、
「えっ!!」って声に出してびっくりしてるし、
なんかほんとみんな素直で純粋で、こっちがびっくりでした( ̄□ ̄;)!!

家族はほとんどみんなおうちで亡くなるし、
母親は5人も10人も弟妹を産んでいるし、
自分が番をしているヤギたちは見てる前で交尾するし、
そういう、生とか性とか死とかが身近にフツウのこととしてありふれているから、
彼らのそういうものに対する意識はとてもシンプルなのかもしれません。


見てください!この真剣な覗き込みかた!





そんなわけで、
「世の中のテクノロジーと、学校で勉強していることとはつながっている」
ということを生徒に実感させることで勉強に対する意識を変えたい!という
佐和ちゃんの思いがつまったフェスタは大成功!ヽ(´▽`)/
あ、NewTimesに記事が載ってますよ ↓
http://www.newtimes.co.rw/index.php?issue=14634&article=41455


その三日後の今日、わたしは出張先でやっちまいました。

牧場にて作業中、ルワンダに来て初めて牛に突き飛ばされました。
ルワンダ牛、信じてたのに・・・ばかやろー!

クラッシュという、牛を固定する木枠の中で
牛が外へ出ようと暴れだし
制止しようとしたわたしを巻き込んで
狭い木枠のなかで牛がジャンプしたり突進したりを繰り返し、
わたしはその中でペラペラの紙くずのようにもみくちゃにされ、
ようやく木枠のすきまから外へ這い出しました。

みぞおちを強打して呼吸が止まっていたけど
しばらく浅い息を繰り返していたら落ち着いてきてホッ。
「ここでひるんではだめだ!日本人の魂を見せるのだ!」とか思って
心配する同僚たちに
「ぜんぜんだいじょーぶ!さぁ、続けよう!」と強がってみたものの
体を曲げるたび、力をいれるたびに肋骨全体に鋭い痛みが走り、
夜になった今も、息を吸うたびに顔がゆがむくらい痛みます。

うーん・・・折れたのかなぁ?

とりあえずヨロヨロしながらでも明日の作業までは終わらせて、
それから病院行くかどうか考えます。
意外と朝起きたらめっちゃ治ってるかもしれないし!

2011年5月16日

ハイコレステロール生活

トローチが売ってないんです。
処方された咳止めシロップ、効いてるのかどうか・・・(;-_-) =3

とはいえ、一昨日くらいまでは咳しすぎてゲロっちゃう始末だったんですが、
ようやく咳がおさまってきました。

食欲旺盛、今日は卵を合計4つも食べました。
お昼に庭のネギと一緒に卵を炒めて和風パスタ、
夜はオムレツにしてアボガドと一緒にバゲットにはさんで食べました。

うちの隣は商店で、
家を出て10歩も歩かずして買い物ができて便利なのですが
その商店に最近おいてる卵が安くておいしいのです。

ルワンダで売ってる卵には2種類あって
「アマジ イニャルワンダ」と言うと、
ルワンダ在来種(地鶏みたいなの)が産んだ小ぶりの卵をくれます。
これは黄身が真っ黄色でおいしいの。
で、ちょっと高い。一個120フラン。
一方、「アマジ インズング」と言うと、
ひとまわり大きい、日本で売ってるM玉くらいのをくれます。
これは輸入された大量生産用の鶏が産んだもので、
彼女らは在来種と違って毎日産むので安いのです。一個100フラン。
しかしこの卵の黄身はなんと真っ白・・・!
ビジュアル的にあまり食欲をそそりません。

隣の商店のオヤジが最近仕入れたのは、
後者の「アマジ インズング」であるにもかかわらず、
黄身が黄色いというお得な卵。
昨日買いに行ったら「いい卵があるんだよ~」と言うので
じゃあ4つちょうだい、と買ってみたらたしかにいい卵でした。

ちなみに今、アボガドが旬です。
握りこぶしよりひとまわり大きいのが50フラン。
その倍くらいあるのが100フラン。
これまたハイコレステロールだけど、おいしいです。
森のバターっていうくらいだもんね。気をつけなきゃ。

となりの商店と店主

そうそう、国の試験牧場で最初に移殖したグループが、
今月末あたり、妊娠鑑定できる予定です。
何頭受胎してるかな?
あまり期待してないのだけど(-_-;)||||||
すでに発情が来て不受胎っぽいのが3頭、不明なのが5頭。

ちなみに先週末、
ゲホゲホいいながらその牧場にて第三グループの移殖をやったんですが、
予定していた9頭のうち4頭は状態がイマイチだったので見送ることにし、
残る5頭にどうにか移殖しました。
見送った分の4つ、凍結受精卵が残ってます。
こやつを移殖しないと日本に帰れません。
というわけで同じ日に別の8頭を選んで、
耳にホルモン剤を埋め込んできました。
移殖予定は6月2日。

なんとその翌日の6月3日は早くも帰国報告会です。
たいへんだー!

さーてと。
今日もがんばって仕事するか。
ほほー。忙しい。いいことだ。

2011年5月12日

ごほごほ


こちらルワンダはあいかわらず雨です。
ドロドロの泥道をすべらないようにおそるおそる歩いてます。
もうぐっちゃぐちゃ。

JICAの機関紙やなんかで
日本国内で協力隊OBたちが
それぞれの特技をいかして被災地の支援活動を行っている様子を見て
頼もしいな、と思う今日この頃です。
たしかにああいう場所では協力隊経験者は役立つと思います。
水がなくても電気がなくてもそれが普通、という場所にずっといたし、
ないないづくしの中で模索することも他の人よりはちょっと慣れてるかも。

今こそ、途上国で培ったそういう力を日本社会に還元するときなんだと思います。
わたしも帰国後、ぜひ協力したいな。
専門分野で協力できたらいいけど、そうじゃなくてもいい。


それにしても・・・
しゃべると咳がとまりません(`Д´)=3
どうしたものか。

さて、ちょっと早いですが帰国フライトが決まりました!
6月20日の夕方、成田に着く予定です。

いよいよ帰国が現実の話になってきました。
(いや、もともと現実の話だったけど)

「そのとき」は必ずやってきます。
そのときが来たら、どんな感じがするんだろう。
泣くんだろうか。

わかりません。
でも今はとにかくこの風邪で消耗して痩せてしまった体を復活させるべく
しっかり栄養とらなくてはね。

配属先の近所にある、ジョンのレストラン。
このメランジェ(盛り合わせ)以外選択肢はないのだけど
なかなかおいしいし、800フランだし、ランチタイムに時々利用してます。

奥さんのローザは配属先の同僚で、とってもやさしいひとです。
でも今日のローザはなんだか顔色が悪くてしんどそうでした。
できるだけ長く元気でいてほしい。

それから先週、カリムに赤ちゃんが生まれました。
先々週はファブリスのところに赤ちゃんが生まれてお祝いに行きました。
とりあえず咳が止まるまではカリムの赤ちゃんを見に行けないので
早く治さなくっちゃ。

あと、掃除婦のダンシーラが最近冷たい。
職場のティータイム、わたしにだけ牛乳をくれない。むかつく~。

それから秘書のリリアンがバイクタクシーに乗ってて事故って
大怪我を負いました。
で、その治療のために病院へ向かう途中
またもやバイクタクシーから転落して怪我をしたみたいです。
かわいくて優秀なリリアンにこれ以上悪いことが起きませんように。
早く帰ってきてほしいです。