Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2010年12月10日

お引越し

前回の続き。

牛たち、無事にお引越ししました。
いや、全然「無事」じゃなかったけど・・・ ^^;

待てど暮らせどトラックが来ない。

運転手に「今どこなの?」と電話をしても

「もう近くまで来た」
「あと5分」
「もう少しで着く」
というセリフを1時間くりかえす、ルワンダンランデブー。


待ちくたびれたハーズマン(カウボーイ)たち。


子牛たちはこれから何が始まるかも知らず
木陰でミルクがあったまるのを待っています。
母牛たちはずーっと日の照りつける草原を
のっそりのっそり群れで移動しながら草を食べていますが、
子牛たちは日がな一日、こうやって木陰でのんびりしています。

ようやくトラック到着。
ハーズマンたちが牛をトラックに追い込みます。
こんな小さいトラックに6頭なんて絶対載せきれないよ!と大反対しましたが、
やつら、無理やり押し込みました。
日本だったらこのトラック、せいぜい2頭だよ。。。

案の定、道中なんども荷台で牛が倒れたり、下敷きになったり。
ちょっと走っては止まってもらい、牛を立たせてつなぎ直しました。
こんな調子では今日中に目的地には着かないな・・・と思っていたら、
さらにめんどうなことが。

数キロおきに路肩に立っている警察官に検問されるわたしたちのトラック。
なんと止められた回数7回!

ちゃんと「牛を移動させてよろしい」っていう許可証を持ってるか、
車の整備はちゃんとやってあるか、などなど
毎回、止められるたびにしつこくチェックされ、
バックライトが点かないことを咎められ罰金を払う運転手。。。 オイオイ


・・・というわけで、結局2日かかって、
ようやく、ようやく目的の牧場にたどりつきました。

牛もぐったり、人間もぐったり。


ここでしばらくのーんびりしてもらって、
新しいおうちに慣れたころ、同僚たちの練習台になってもらう予定です。


ぼくもママと一緒に引っ越してきたよ!

2010年12月2日

牛選び

やってきました、東部州はニャガタレ。

最高のお天気。牛日和。
ここで牛を15頭ほどゲットするのが今日のお仕事です。

ハーズマン(牧夫)たちに誘導されて
牛たちが集まってきました。
ルワンダが誇る在来種、「Inyambo(イニャンボ)」です。
ルワンダの伝統舞踊でよく見るこのポーズ(下の写真)は、
イニャンボの大きな角を表現してるんだそうな。

ハーズマンたちが妊娠してない牛を選り分けてくれたので
(なんで妊娠してないってわかるんだろう・・・)
その牛たちのコンディションをチェック。
同僚のクレアにも直腸検査してもらいました。

こればっかりは数をこなさないとね・・・。
がんばれクレア!
選ばれなかった牛たちは、いそいそと草原に帰っていきます。

週明けにトラックを手配して
今日選んだ牛たちを国営試験農場に移動させます。。

首都への帰り道。

いつものように、数キロメートルおきに警察(写真に写ってる黄色いジャケット)がいて、
二人一組で検問しています。
輸送トラックは特に念入りにチェックされるので、移動許可証が必須です。
牛たちを移動させる許可証を用意しておかなくては・・・

2010年11月25日

あれよあれよと

なぜかよくわからないんですが、
イロイロといい方向に進み始めました。


初めての受精卵移植を終え、ほっと一息、と思っていたら、

同僚のヴィンセントが今までにないやる気を出していて
なんと自主的に受精卵移植の練習をしたいと言い出し、
週末の朝から、練習に付き合わされる始末。


朝8時集合の予定だったのに、
当日の朝早く電話してきて、「やっぱり7時半集合にしよう!」
と、これまで必ず30分は遅刻してきた人とは思えない豹変っぷり。

なんか変な薬でも飲んだんじゃないかと心配になってしまうほどでした。

雨が降ってきたから中に入ろうと言ってもやめようとしないヴィンセント。



ついでに
「どうせまた読んでくれないんだろうなー」 と思いつつ
こないだやった初めての受精卵移植についての報告書を
テンション低めで提出したところ、
翌朝驚くべき展開が!!

わたしのオフィスの内線が珍しく鳴り、
「トップがユミを呼んでる」とのこと。

慌てて行ってみると、
「報告書に、スタッフのさらなる練習のために牛が必要と書いてあるが
何頭必要なんだ?」

えええー!報告書読んだのですかアナタ!
嬉しくてドキドキしつつ、

「上司が15頭の牛を購入する方向で入札の準備をしている聞いています」
と答えると、

「それじゃ何ヶ月もかかるね。来週の月曜までに牛を用意しよう。
明日か明後日にでも東部州に出張して牛を選んできなさい。」

!?
トップもなんか変な薬を飲んだんじゃないのか・・・?と
かなり疑心暗鬼になりつつ、

とりあえず明日、同僚のクレアと二人で牛選びの旅に行ってきまーす!



ケニアに研修に行った隊員が買ってきてくれたイクラ。
軍艦巻きにしたら卒倒するおいしさでした。
サーモンも納豆もおいしかった・・・
進んでる国はいいなぁぁー!

2010年11月24日

一歩踏み出した!

もう2週間くらい前のことになってしまいますが、

ついに!
受精卵移植、やりました!

受精卵移植というのは、
めっちゃ優秀なお母さん牛の娘がたくさん欲しい、というときにやる技術です。

まず、めっちゃ優秀なお母さんを選びます。
そのめっちゃ優秀なお母さんに一週間くらいかけてホルモン剤を打って
通常、一回に一個しか排卵しないところを、たくさん排卵するようにさせます。

そのあと、そのめっちゃ優秀なお母さんに、めっちゃ優秀なお父さんの精液を使って授精します。
すると、めっちゃ優秀なお母さんのお腹には、
めっちゃ優秀なお父さんとの子供(受精卵)がたくさんできます。

これを放っておくと、五つ子ちゃんとか、十つ子ちゃんとかになるわけですが、
お母さんは一度に一頭の子供しか産めないので、
子宮の中を漂ってるたくさんの子供たちをいったん取り出して、
それを妊娠してない他のお母さんたちのお腹に、ひとつずつ移殖します。
つまり借り腹ですね。

うまくいけば、約10ヵ月後には、それぞれの借り腹から、
めっちゃ優秀なお母さんの子供が何頭も産まれる、というわけです。

ルワンダでは初めての試み。

今回はまったく自信がなかったので
北部州の獣医大学に配属の獣医隊員、牛ノ濱くんにも助っ人に来てもらいました。

受精卵がいくつ取り出せるかは、技術者の腕と、牛のコンディションしだいで、
ベテランがやっても1個も見つからないときがあるので、
いきなり5個も10個も期待するのではなく、
とりあえず1個でも見つかればいいな~くらいの気持ちで。

まずは同僚に作業の流れを体験してほしい。
そして、できれば、「ほら、これが受精卵だよ!」って見せてあげたい!
とにかくやってみるべし!

お母さん牛に麻酔して、子宮にカテーテルを入れていきます。
お母さん大暴れ。。。大苦戦であります^^;
カテーテルがうまく入ったら、
そのカテーテルを通してこの特別な液体を子宮の中に注入します。
で、注入したと思ったらすぐにその液体を回収します。

そう、この回収された液体の中に
もしかしたら受精卵がプカプカ浮かんでる(かも!)というわけです。
この作業を何回かくりかえします。

子宮を通って回収された液体は
とても目の細かいフィルターを通してから廃棄されます。
うまくいけばこのフィルターに受精卵がひっかかってる・・・はず!

さっそく、フィルターにひっかかったものを
顕微鏡で検査します。
受精卵・・・受精卵・・・

・・・・・・

あったぁぁぁぁー!!!
感動の一個目、発見!
すっかり疲れて隣の部屋で牛乳を飲んでる同僚たちを呼びに行きました。
ほら!これが受精卵だよ!!

同僚たちも静かに感動しているのが伝わってきます。
「ゆみ、受精卵はこんな感じに見えたぞ・・・」と絵を描き始めるヴィンセント、
「自分も受精卵見つけたい!」と顕微鏡の席を陣取って
すでに検査済みの液体をにらむクロード。


そう、この瞬間のためにわたしはずっと準備してきんだ・・・(感動の嵐)
感慨深く牛乳を飲みつつ、
回収液は全部検査したから、たぶんもう新たな受精卵は見つからないだろう、
雨も降ってきたし早く帰りたいなー・・・などと考えていたら、


「もういっこ受精卵見つけたーー!」とクロードが言うではありませんか。
顕微鏡をのぞくと、ほんとにもういっこ見つけてました。
受精卵がまだ残ってたことにもびっくりだけど、
それより、粘液やら細かいゴミやらが浮かぶ液体の中で
クロードが自分でちゃんと受精卵を識別できたことに超びっくり。

発見された2個の受精卵はまぁまぁの品質でしたが、
とりあえず、準備してある5頭の借り腹のうちの2頭に、一個ずつ移殖しました。
残りの3頭には、カナダ産の凍結受精卵を解凍して移植しました。

来月、クリスマス前に妊娠鑑定をする予定です。
一頭でも妊娠してくれれば、同僚のモチベーションも上がるというもの。
いいクリスマスが迎えられるように、どうかどうか妊娠してください!!!
祈るような50日間の始まりです。

2010年11月5日

やってみるしかない(後編)

(つづき)
ある日、ものすごく久しぶりにダイレクタージェネラルの車を発見!

つ、ついに姿を現した!!


走り寄って、ウィーンと閉まりつつある窓をガシッと押さえ、

私 「一日も早く、試験に入りたいんです!スタッフの練習に使う牛を用意してください!」

ダ 「ISAR(国営試験場)でやればいいじゃないか」

私 「以前あそこで準備してたら、ISARが余計な条件をつけてきたからこの技術協定はなかったことにしろ、と突然おっしゃったじゃないですか。」

ダ 「じゃあ受精卵移植やりたがってるそのへんの農家でやればいいじゃないか」

私 「まだ一回もやったことのないスタッフがいきなり成功するわけがないです!今は一般向けのサービスを始めるには早すぎます。」

ダ 「君が移殖すればいいじゃないか」

私 「それじゃ意味がないんです。だから数年前にイスラエルの技術者を呼んでやったときは・・・ナンチャラカンチャラ・・・」


ダ 「じゃあうち(RARDA)のニャガタレ牧場でやればいいじゃないか」


私 「その牧場で準備を進めていたら、急に、ここの牛は大統領の所有物だから試験に使うなんてだめだって言われて、それであなたからの決定を待っているんです」


ダ 「あーわかったわかった!牛を用意する!君のプロジェクト用の牛だ!」

そ・し・て・・・



ついに念願の牛を10頭購入する入札の手続きが始まりました。
これまでの経験から、この手続きには半年くらいかかると思いますが・・・
願わくば、わたしがルワンダにいるうちに牛がわたしたちのもとに届きますように。

ついでに、上司から紹介されたルワンダ軍の幹部、ミスタームヒルガに会いに行き、
受精卵移植について説明し、
今はまだ成功率は未知数だけど、この技術がこの国に根付くように努力するので、
その人が所有する牧場の牛をスタッフの練習用に貸してもらえないだろうか、
と交渉したところ、
最後には快諾してくれました。

先月からこの農場に通いながら、
妊娠してない牛を片っ端から検査し、
選抜した牛のコンディションを整えてきました。


そして先々週は、6日間、12時間おきに注射を打ちに通いました。
受精卵を取り出す側の牛に、たくさん排卵させる注射です。

特に病気の治療というわけではないので
日本だと、農場の従業員に頼んで打ってもらったりするのが普通なのですが、
決まった時間に予定通りに仕事をこなすことが大の苦手のルワンダ人に
この12時間おきの注射を依頼するのはやや勇気がいることで、
同僚たちも「絶対じぶんたちでやったほうがいい」と言うので、
じゃあちゃんと朝6時と夕方6時、時間通りに来てね、と約束。
まぁ2回ほどすっぽかされましたが(笑)、
それでも予想以上にがんばってくれた同僚たち。

他のミッションも任されている忙しい彼らのスケジュールをどうにか合わせ、
3回の講義も実施しました。
屠場(食肉解体場)から買ってきた子宮を使って、
丸一日、移殖器具を子宮に通す練習。

経験のないまま学歴だけでここまで来た人たちなので
びっくりするくらい下手なんですが、
なぜかとても前向きです。

カテーテルから内芯が抜けて飛び出していることに気づかず子宮を刺していたときも
「この練習でこの失敗をしておいてよかったよ!」と超ポジティブ、

帰り際、立ちっぱなしでヘトヘトになったわたしに
「ゆみ、がんばりましょう!わたしたちは絶対成功する気がするわ!」と
これまたポジティブ。

なんでこんなに前向きなのか、
その自信はどこからくるのか、もうさっぱりわかりませんが、
とにかくやってみるしかありません。


いよいよ週明けの月曜日、
ホルモン処置した2頭の牛のお腹から実際に受精卵を取り出し、
他の5頭の牛のお腹に移殖します。

移殖する受精卵がちゃんと受胎してくれるかとても不安ですが、
それ以前に、
ちゃんと時間通りスタッフが来てくれるか、
牧場のカウボーイたちに頼んで作ってもらってる牛を固定する枠が当日までにできあがるか、
当日停電して顕微鏡が使えないという事態に陥らないか(可能性はとても高い)、
心配の種はつきません・・・。

やってみるしかない(前編)

ここへ来て一年間、
3歩進んで2歩下がる(たまに3歩下がる)感じだったわたしのプロジェクト。
どうにかこうにか、
実地試験にこぎつけそうなところまできました!

受精卵移植の技術導入、というのがわたしのミッションなのですが、
技術と道具があっても、
じゃあどこのどの牛で始めましょう、っていうのが決まらず
あちこちで着手しては頓挫する、というのを繰り返してきました。



今度こそ!という意気込みでトライしたのが、
RARDA(わたしの配属先)が所有する牧場。

イニャンボという大きな大きな角を持つ在来種の牛が
どれがどれとも記録されないままに自由奔放に放牧されているところで、
まずはその200頭ほどの牛たちに
耳標(ピアスみたいなので耳に名札をつける)をつける作業からスタート。

どこまでが牧場かさっぱりわからない広大な土地に散在している牛たちを
カウボーイたちが上手に一箇所に集めてくれた・・・のはいいけど・・・

こんなにたくさん、どうしよう?
しかもすごい角・・・


ハーイ、みなさん枠に入ってくださーい!

牛をロープで固定すると牛の力で枠が壊れるので、
カウボーイたちが力ずくで角を押さえて固定します。

なんせこれまでずっと野生チックな生活をしてきた牛たちなので
人間につかまったら殺されると思って、もう大暴れ。

それでも、首都から3時間もかかるこの牧場に何日も通って
牛をいくつかの群に分けることも決まり、
ようやく耳標つけも終わりそうだぞ、というころ、
これまで幾度となく経験した、「突然の終了宣言」。

今まで誰の指示も受けずに自由気ままに牛を追い、乳をしぼり、
その乳を売っては小銭を稼いでいたカウボーイたちが
子牛と親牛を分けろだの、お乳の量を記録しろだの、
メンドクサイ仕事が増えたことを不服に思い、
謀反を起こしたのです。
そのカウボーイからの真偽入り混じった訴えを真に受けたうちのトップが
この牧場での試験中止を宣言・・・またふりだしに戻ります。

さぁ、次の候補地を決めなければ!と気持ちを切り替えたところで、
あろうことか、配属先のトップ(ダイレクタージェネラル)が突然の休暇に入ります。
彼がいつ休暇から戻るか、秘書を含めて誰ひとり知らない、という信じられない状態で、
あらゆる決定が先送り。

「早く何らかの実績を出せ」というプレッシャーだけがのしかかる日々。。。

2010年10月1日

ちっこい来客

いやー、同期隊員たちのブログを見ると
軒並み「やさぐれている」みたいなので安心しました。笑

任期の折り返しを過ぎて3ヶ月。
そういう時期なのかなー?


ということで、元気出していきます。喝!


仕事から帰って
さー火を起こしてゴハン炊こうっと、と思っていたら
ちっこいわたしの友達が、お姉ちゃんとその友達を連れて遊びに来ました。

「来るときは電話してから来なさいって言ったでしょー!」と言っても
「うん、次からそうする。」って ・・・絶対また突然来るんだろ・・・ 

この子、わたしのちっこい友達、シェリーネ。
「ねえ見て見て、わたし、イギサンボ(欲張り)!写真とって!」
あいかわらずお調子者なシェリーネ。
ほんとおバカだなー。


お姉ちゃんたちもファンタ飲んでごきげん。
シェリーネと違って、思春期なお姉ちゃんたちはあまりアホなことはしません。

しかし、カメラを向けると、
なぜか真顔でヒップホップ的な(Hey Yo!的な)ポーズをとります。
これはルワンダの学生全般に見られる傾向で、中高生になるともっと激しいです。

お姉ちゃんたちを撮ってたら、シェリーネが
「わたしもかっこいいポーズ思いついた!」と とったポーズがこれ。

さすが、まったく意味がわかりません。
特に足。



そろそろ帰りなさい、お母さんが待ってるよ、と促したら
子供たちはしぶしぶ帰っていきました。
撮った写真をあとから再生して見ていたら、撮ったおぼえのない写真が。

シェリーネ、いつの間にか自分撮りしてる・・・

2010年9月27日

メンテナンス完了しました

ほんと、すごくダメな一週間でした。

鼻はグズグズ、咳は止まらず、頭はボーッとして、

もうルワンダなんて永遠に発展しなくていいんじゃないか、とか
そうやっていつまでも道端で「おい白人!金くれ!腹が減った!」って言ってればいいよ、とか
そういうどうしようもないネガティブ思考が
頭の先から足の先、毛細血管のすみずみまでしみわたって、

ルワンダ人の言うことなすこと何もかもに腹が立ち、
わたしの一挙手一投足を凝視してる道端のルワンダ人が
「見ろ、白人だ」
「白人が傘をさしてるぞ、白人は太陽がきらいなんだな」
「白人がトマトを買うぞ、おい、ピーマンも買え!」
「見ろ、白人がバスに乗るぞ」
と言っている声がいちいちカンにさわり、
あーもうほっといてほしい、誰もわたしを見ないでほしい、
とすっかり家にひきこもり、

雨季に入ったのにちっとも水が出ない蛇口をにらみつつ、
鼻をかんだティッシュに囲まれて、ふてくされてました。

仕事を早めにあがっても誰も気づかず、
朝から家にこもってても誰からも電話は来ず、
もうこのまま帰国してしまおうかしら、などと思ったりしながら、

そうやって一週間がたとうとしたころ、

なんとなくあきらめ半分で水道の蛇口をひねってみたら
しゅしゅしゅしゅ・・・という空気の抜ける音が。

もしかして・・・と、期待のこもった視線を注ぐこと数分。

ついに茶色い錆色の水がチョロチョロと出てきたのです。
まもなく水は透明になり、
ジャアジャアと勢いよく出始めました。

それを見ていたら、
なんとなーく頭をしめつけていた何かがゆるんでいくような感じがして

「ルワンダ人のスピードでいいから前に進もう」
という思いが、
まるで暗闇でちょっと目が慣れてものが見えるようになるような感じで、
ぼんやりと浮かんできたのでした。

不思議と鼻水も止まり、
外に出てみたら

無精ヒゲだらけの警備員が
「おはよう。風邪は良くなったかい?」と言って
ニヤリと笑いました。

2010年9月21日

省エネの理由

ルワンダ人がどう見ても八分目どころか5割くらいしか力を発揮せずに
なにごともゆっくり、エネルギーを出し惜しみして活動している理由がわかりました。

疲れる。
標高が高くて空気が薄いからなのか(国土の平均海抜が1,500m)
ほんとにちょっとしたことで疲れてしまいます。

やっぱりルワンダ人を見習って、省エネでやっていかないと
こうやってすぐ風邪をひいてしまうのです。
週明けの昨日は朝から喉が痛くて、夕方にはちょっと熱っぽくて
ふらふらしながら牛乳を買って帰り、
身体をあっためようと、火をおこしてクリームシチューを作ったのですが
味見してびっくり、シチューが酸っぱいのです。
買ってきた牛乳を味見して納得。
おばちゃんがペットボトルに入れてくれたのは
牛乳ではなく自家製ヨーグルトだったみたい・・・あーあ^^;

では週末なにをやっていたのかといいますと・・・

まず金曜日は仕事を午前中で切り上げて
午後からJICA事務所で代表者委員会の会議。
今度、隊員全員が加入する自治会みたいなのを立ち上げることになりました。
いちおう、わたし会長なんですが、
みんなボランティアとしてアフリカくんだりまで来てるだけあってとても協力的。
ありがたや~。

そしてそのまま今度帰国する隊員の活動報告会。
それぞれ恵まれない環境(別に水がないとか電気がないとかいう意味ではなく)にあっても
あきらめずにできることを探して孤独な戦いをしていることに
毎回のことながら感動すると同時に、
協力隊派遣ってむずかしい事業だなと再認識。

それから街の中華料理屋さんで誕生日を祝ってもらいました。
ライコホテルという高級ホテルで同期が買ってきてくれた
モカケーキとバナナタルトを食べてルンルンでした。


翌朝は土曜だけど早起きして配属先の同僚といっしょにある農家さんちへ行き、
今度始めようとしているプロジェクトの下見。
理想的な農家さんで、産前産後のケアもやってるし、
乾季のエサがない時期のためにサイレージ(牧草のお漬物みたいなもの)を作って備えてるし、
きれいな水がいつでも飲めるようにしてあるし・・・
ただ、一緒に行った同僚から聞いた上司からのことづけを聞いてまたがっかり。
この農場での受精卵移殖をわたしにやらせようとしてる。
ちがうでしょう。
わたしは技術を教えはするけど、実際に実行するのはルワンダ人です。
代行はしません。
週明けにガツンと言ってやらなくては!と鼻息荒く牧場をあとにし、
急いで同じキガリ市の反対側にあるニャミランボという町へバスで向かいます。

この町の聾学校で活動している先輩隊員が企画した運動会で
競技の補助とか、招集とかの仕事を隊員みんなでバックアップするのです。
このときの写真は今度またあらためて載せようと思ってます。
ふだん、海外の大学を出た(自称)エリートな大人たちばっかり相手にしているぶん、
単純に「子どもは素直でいいなー」と心洗われる思いでした。

運動会をあとにして、そのままみんなで貸切バスに乗って街へ!
間髪いれず、週明けに帰国する先輩隊員の送別会です。噴水と野外スクリーンのある素敵なレストランで
ふだん食べられないごちそうをたらふく食べて大満足。
と同時に、帰国する先輩隊員に感情移入してしまい、
なんだかこのまま帰国の日を迎えていいのかしら、と胸がザワザワしたり。

そのあと帰国する先輩隊員たちとカフェに行って話し込んだりして
半分目が閉じかけながら帰宅。

どうしようかな、さぼっちゃおうかな、と思いつつ
翌朝はいつもどおり朝から教会に歌いに行きました。
でもなんだか調子が出ない。
音痴のエミリエーネの声をカバーできるほど声が出ない。
なんでかなぁと首をかしげつつ、教会のそばの市場で買い物して
喉が渇いたので帰り道のレストランでビール一杯ひっかけて、
家についたらグッタリ。
もう起き上がれませんでした。

冒頭に書いたとおり、
やっぱり日本にいる感覚で週末にいろいろやろうとするとダメみたいです。
ルワンダ人は怠け者なのではなく、
それくらいでセーブしとかないと息が続かない、ということなんですな。

2010年9月16日

あるところにはあるんだな

友達のアンジェリークと会った帰り、

そういえば今日この近くで金物屋のアリスが結婚式するって言ってたなーと思い出し、
ほとんど行く気はなかったけど、急に気が変わって顔を出すことにしました。

家の庭ではお決まりの「親族による長い長いスピーチ」が繰り広げられており、
近くにいた人に「アリスに会いたいんだけど」と言うと
控え室に通してくれました。

ゆみー!!来てくれてたの!?とめっちゃ感激するアリス。
いや、たった今ちょっと寄っただけです、とは言えず、
「そうだよ!ずっといたよ!すてきな結婚式だね!」と流れにのってみるわたし。


それにしても、でかいおうち。
察するに、玉の輿。
家具もきらびやか、結婚式の装飾もゴージャス。

花嫁も、ブライズメイドたちも、お化粧直しに気合い入ってます。
顔からデコルテまで粉をはたきまくってます。
広いお庭に出て結婚式の続きをしばし眺めました。
花嫁が親族にシャンパンをお酌してまわると、
各親族の代表による「かけひき」が始まります。


「おたくのお嬢さんをいただきたい」
「うちの娘は学歴もあるし器量もいい、そう簡単には・・・」
「じゃあ牛一頭贈ろうじゃないか、これでどうだ」
「いや、一頭では娘はやれない」

・・・というのを延々やります。


ここらで暗くなってきたのでこっそりおいとましました。
(いままでの経験では、このあと結納品としてホンモノの牛が二頭登場して、
牛を扱う聖なる爺さん?みたいなのが出てきて歌う。)

子どもの制服一着買うのにも難儀するおうちもあれば
こんなふうに散財する余裕のあるおうちもある。
日本で見聞きする「格差」とはまた違う、もっと根本的な格差。

2010年9月11日

しみじみホリデイ

昨日はラマダン明けで休日でした。
うちの近所にはほとんど見かけないけど、
ムスリムがたくさん住んでるニャミランボあたりは大騒ぎだったのかなぁ・・・?

おととい、JICA事務所から「小包が届いてるよ」と連絡をもらい、
喜び勇んで受け取りに。

た、たんじょうびプレゼントだ・・・

ニヤニヤしながら帰宅してさっそく開けてみたら
中から日本の香りがほわわーんとして
幸せがこみあげてきました。

もとの職場から。
なんでわかったのー?ってくらい、食べたかったものばかり。
どうしよう、どれから食べよう、と、もったいないなくて迷ってしまいます。
ビオフェルミンもありがたや・・・

内科の後輩から。
昭和の発明品みたいな色のチェキ。
少し前に突然、「キリさんのカメラってどんなのですか」ってメールで聞かれたのだけど
・・・こういうことだったのか!

父と母からの手紙と、妹からのプレゼントと叔母からのプレゼント。
父の手紙には、2、3歳の妹とわたしの写真が入ってました。
母とはしょっちゅうメールでやりとりしているけれど、
たまーに送られてくる父からの手紙は心に響きます。
で、ラマダン明けの今日は、
緑茶を飲み、小包に入ってたおせんべいをかじりながら、
妹からのプレゼントの本をのんびり読みました。
しあわせだ・・・
今日読んだのは、金子みすゞの詩集。
心がほっくり丸くなっていく。
活字中毒の妹が薦める本にはハズレがない。
あと二冊もある。たのしみ。

2010年9月7日

おおいそがし誕生日

9月5日はわたしの誕生日です。

「どこに住んでるのか?」
「ルビリジの~の近くだよ」
のやりとりのあとには、必ず、老若男女100%の確率で
「いつ招待してくれるんだ?」
と聞くのがルワンダ人の癖です。
それくらい、ルワンダ人は招いたり招かれたりするのが大好き。

正直、自分の暮らしぶりを見られるのに抵抗があり、
(どう考えても同僚の誰より立派な家を借りてるから)
しかも飲み物や食べ物を振舞わないといけないわりにみんな手ぶらでくるし、
どうしようかと一年間ためらっていたのだけど、
最後の誕生日だし、思い切って同僚たちを家に招待することに。

さぁ準備だ準備だ!

とはいえ、日曜日なので朝は教会に行かなくては。

書いたかどうか忘れたけれど、半年くらい前から聖歌隊に入って歌ってます。
大きな声で歌うのはストレス発散にめっちゃ最適。
友達もたくさんできるし、ミサの間、眠くならずに済むしね。
この子、同じパートのエミリエーネ。
キニャルワンダ語の歌だと上手なのに、英語になるととたんに音痴になるので大変。笑

教会をあとにしてそのまま市場で食材を買い込み、
急いで家に帰って、炭で火をおこします。
それでお湯をわかしつつ、うちのかわいいジャックJr.(ニワトリ)をしめます。

ジャックJr.を唐揚げにしたら、
トマトパスタと、フライドポテトと、サラダと、オムライスを作って
その間に次々とやってくる同僚たちを迎え入れ、
飲みたいものを聞いてそれを隣の商店に買いに行きます。
ルワンダ流おもてなしで最もよく出される(というか、これしかない)のが
以下のラインナップでございます。

ファンタオレンジ (通称 オランジュ)
ファンタシトロン (通称 スィートロ)
コカ・コーラ (通称 コカ)
ビール (ムツィング、アムステル、スコール、ターボキング、プリムスから選ぶ)

どれも瓶に入ってて、おぼんに寝かせた状態でお客さんの前までもって行きます。
で、お客さんが見てる前で栓をあけます。
毒を入れてませんよ、というアピールらしい。
ファンタのお客さんにはストローが必須です。
ビールのお客さんはグラスについであげます。
めんどくさー。

興味津々で料理を取り分ける同僚たち。
飲んだり食べたりしながら、たわいない話をして、
ハッピバースデーの歌を歌ってもらい、
あっという間にお開きの時間。

ひとりになった広いリビングで
上司の秘書がくれたまずいアラブ産チョコを食べつつ
お母さんの作ったケーキが食べたいなぁとぼんやり考えました。

なんだろ・・・怒涛のようにやってきて、去っていった同僚たち。
まぁ初めてのことだったし、楽しかったし、いいか。

おまけ。
ブレード編んだら髪が洗えないから、痒さと臭さとの戦いだ、というセオリーをくつがえし
シャンプーでじゃんじゃん洗ってるわたし。
意外とくずれないのです。

2010年9月3日

エキスポ!Expo!

予告どおり仕事の愚痴を書こうと思ったけど
なんか悲しくなってきたので
母親にメールで愚痴ることにして。
とにかくあと10ヶ月、焦らず、くさらず、前に進みます。


先週末は、ルワンダで唯一のお祭、エキスポに行ってきました!
ひろーいグラウンドのようなところに、年に一度大きなテントが立って、
その中を細かく区切って、それぞれの区画に予約した国内外の企業や住民グループが
自分たちのビジネスをアピールしたり、生産品を販売したりするためのブースを展開する、
そういう展示会のようなものです。

自分の活動に関係のある企業について情報が得られたり、
ルワンダ各地の住民グループが作っている手工芸品が一同に並んだりするので、
特に娯楽らしい娯楽のないこの国では隊員たちもこの期間を心待ちにしています。
紅茶会社のブース。
実際の紅茶の苗も並んでたり、入り口にはこんな凝ったモニュメントもあったりして
目を引いてました。
ルワンダティーは世界一おいしいんだ!とみんな言います。
そんなにおいしいお茶なら、沈んで層になるくらいお砂糖入れなくていいのにね・・・
まぁでも国産のものを誇りに思うことはいいことだな、とホッとしたりします。

ツーリズムがまだまだ未発達のこの国にも
キャンプ用品を扱う所があったなんてびっくり!
スタッフのお姉さん、くつろぎすぎだよー。


住民グループが所狭しと生産物を並べるブース。
村落開発普及員として活動する先輩隊員が村人たちといっしょに
トマトジャムを販売してました。
収穫時期に売れ残って市場で廃棄される熟しきったトマトを商品化するために
この先輩隊員が開発したものです。
買って帰って食べてみたら甘酸っぱくてパンにもヨーグルトにも合う!
もうひと瓶買えばよかった~。


サイザル麻を使った手工芸品もたくさん並びます。
ひとつひとつ丁寧に編んであるし、色も鮮やかで、
ついついあれもこれも欲しくなって大変です。

日が暮れてくると、特設ステージの上で口パクで歌い踊るパフォーマーも
ますます音源のボリュームを上げ、
見てる人たちもビール片手にノリノリです。
買って、飲んで、食べて、
日ごろの原始生活の憂さを晴らすように消費した一日でした。

2010年8月25日

心臓と太もも

先週末はルワンダ北部にある火山群のひとつ、ムハブラ山に隊員9名で挑んできました。
Mt.Muhabura → http://wpedia.goo.ne.jp/enwiki/Mount_Muhabura
標高4127メートル。
JICAの健康管理員さんから高山病に関するブリーフィングを受けて、
ドキドキしながら当日を迎えました。

前日に現地入り。
現地に住む隊員に案内され、町のレストランでウサギを食べて精をつけることに。
初めて食べたけど、頬肉がプリップリで最高でした。
あと、脳が白子みたいでこれまた美味。


翌朝、登山口まで車で移動し、いざ出発!


ガイドひとり、ポーター4人、兵隊さん4人がお供してくれます。
どこを歩けばいいかわからないほど、まったく手入れされていない野性的な登山道。
というかケモノミチ。
草をかきわけ、進みます。

ムハブラ山は登山開始後いきなり急傾斜が始まるから、
他の山より難易度が高いんだ!
とガイドが言ってたとおり、
一歩すすむだけで20cmくらい標高が上がっていきます。
意識的に深く吐いて吸わないと、心臓が早鐘を打って苦しくなります。

そんなわたしたちをよそに、ルワンダ人ポーターたちはめっちゃ余裕。
談笑しながら駆け上がって行きます。
ひとり、リタイアする隊員が出たので、ガイドと連絡をとろうとするポーター。
ひょいと木に登って電話する姿は、まさにジャングル育ち(かどうか知らないけど)。

しだいに気温も下がり、
2、3歩ごとに立ち止まらないといけないほど息が苦しくて、
心臓が口から出そうになります。
隊員の中には、吐き気がしたり、体がしびれたり、と
高山病の症状を示す人も出てきて
「いよいよすごいところまで登ってきたんだな」と感じました。
ジャングルはいつの間にか岩だらけの急斜面に変わり、
朝、車の中から見上げた山々がずーっと下のほうに見えます。



看板や目印らしきものが一切ないので、
自分がどこにいるのか、あとどれくらい進むのかがわかないまま、
とにかく黙々と登ります。


正面にそびえているのが頂上。
ここまで来て、まさかのタイムオーバーでした。

あと一時間半あれば登頂できそうだし、
ずっと励まし続けてくれた軍隊の人も
「あと少しだ、頂上には湖があるんだよ!」って言ってくれるし、
ほんとうにほんとうに悔しかったのだけど、
JICA事務所からも明るいうちに宿泊所まで戻ることを強く言われていたので
みんなで引き返すことになりました。
帰りがまたきつかった。
太ももから下が自分のものじゃないみたい。
ちょっとした草のツルや木の根っこをよけることができず、
数え切れないくらいころびました。
このまま転がっていこうかと思うほど、わたしの足は役に立たなくなっていました。

山の土は火山灰のせいで真っ黒で、
それを吸い込むわたしたちの鼻の中も真っ黒。
何度も転んで手も真っ黒。
繰り返し手の甲で鼻水を拭った結果、最後にはみんな頬が真っ黒になっていました。
まるでジャングルで発見された旧日本兵のようでした。

現地に住む隊員宅に戻り、朦朧とした意識の中で、
みんなで頂上で食べるはずだったチキンラーメンを食べ、
体じゅうの真っ黒な土を洗い流し、
そのまま倒れこむように寝ました。

登頂はできなかったけど、
でもなんかいろんなモヤモヤが吹っ切れた気がします。

これくらいのことをしないと、
ちょっと美味しいものを食べに行ったり、映画を見たり、ドライブに行ったり、
そんなのはもうリフレッシュとは言えないかも。

ルワンダ人おすすめのあやしげな薬を筋肉痛の足に塗りつつ
そんなことを考える今日この頃。