Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2011年2月27日

お葬式

友達の義姉であり、同僚の妹である人がエイズを発症して亡くなりました。
だんなさんもすでにエイズで他界していて、
写真左の男の子は孤児になってしまいました。


お母さん側の親戚が引き取ることになったみたいですが、それにしても不憫です。


人気歌手を起用した看板広告や、
「わたしは使います。あなたは?」と書かれたラッピングバスなどで
政府は盛大にコンドームの使用を奨励していますが、
貧困に苦しむ未亡人やシングルマザーが娼婦として感染を拡げていたり、
シュガーダディ、シュガーマミィと呼ばれる裕福な中年男性、中年女性が
お金に目の無い学生や若者を買春したりしていて、
なかなかコントロールが難しい状況のようです。


関連して、中高生の妊娠もあとを絶たず、地方の学校に勤める隊員が嘆いています。
わたしの家の警備員の娘さんも高校生で妊娠して学校を中退し、
職もなく、実家で何もせず暮らしていますし、
わたしが村落体験でホームステイしていたおうちにも
生まれたばかりの赤ちゃんがいて、
高齢のホストマザーが「わたしの子よ」と言っていましたが
おっぱいをあげていたのは未婚の長女でした。


夕方になると、みんな大人気のラジオドラマに熱心に耳を傾けますが、
内容はだいたい未婚の娘の妊娠とか、夫が外からもちこんだエイズだとか、
そんなのばっかりです。
放送時間の半分以上が女性の陰気な泣き声で占められていて
聞いてると気が滅入ります。。。
子供がこういうのを毎日聞いて育ったら、
こういうのが普通だと感じるようになってしまうんじゃないかと思うのですが、
一応、これは女性と子供を守る団体が作っている啓発ドラマなのだそうです。


いろいろと感覚が違うから、一概に何がいいとか悪いとか言えないし、
具体的になにをどうしたらいいのかわたしにもよくわからないのですが、
地方の女の子の教育レベルの向上、これはポイントのような気がします。

2011年2月22日

ヨーグルトと聖歌隊

突然、雨季が始まって、毎日さむいです。
このまま4月、5月の本格的な土砂降りに突入していくのかな・・・。

そんなこんなでちょっと体がトラブルを起こしてしまい、
保温&水分摂取を心がけ、アルコールは禁止、という日々。
処方された薬がけっこうパワフルなやつで、
食後に飲んでも、量を半分に減らしても、副作用で胃がむかむかするので
ヨーグルトを飲んでから、薬を飲むようにしてます。

ちなみに、こっちではヨーグルトは「飲み物」。
お店でカップ入りのを買うときも、使い捨てスプーンなんかくれないので、
みんな、ふたを開ける前に、思いっきりぶんぶんシェイクして、
ふたを開けたら気合いで吸い込みます。
ほぼ垂直になるくらい傾けないと流れてきてくれません。
今日は再検査のために病院へ行くバスの中で飲んだのですが
顔を天井に向けてヨーグルトを吸い込もうとするたびにバスが揺れて
その反動で手元が狂って大変でした。
教訓:バスの中でヨーグルトを飲むのはよくない。

食堂でヨーグルトを頼むと、
プラスチックタンクに入った自家製のをこんなグラスに注いでくれます。
これがスモールサイズで、200フラン。
でかいジョッキだと250フラン。
こうやって、表面張力を最大限に発揮してなみなみに注ぐのが流儀です。

薬のおかげでだんだん症状は軽くなってきてますが、
ばい菌と戦っているためか、やたらと疲れやすいです。

それでも週末はだいぶよくなったので聖歌隊へ。。。
二日連続、結婚式と日曜ミサで歌いました。
もともと教区の英語コミュニティー専属の聖歌隊なのですが、
新郎新婦からのリクエストもあって
結婚式では英語よりキニャルワンダ語の歌を歌う機会が多いです。
フランス語みたいに語尾の母音を発音せずに次の言葉の頭とつなげて発音するので
書いてあるとおりに歌うと、リズムに言葉が入りきれなくなってしまいます。
むずかしい・・・

でもいい気分転換になります。

最近、イルミネという女の子がアルトパートに入ってきて、
その子がなんか仲良くなれそうな感じの子なので、
練習に行くのが楽しみになりました。
明日も仕事のあと練習。
夜は冷えるので、あったかくして行こう。

2011年2月15日

すごく微妙

ちょっと前のことになるけど、
去年の11月に同僚たちが初めて練習で移植した受精卵は
残念ながら5頭とも受胎しませんでした。

本当は受精卵の入っていないダミーのストローを使って
練習用の安い牛で何度か練習した上でトライすべきなのですが、
苦労して準備した練習の機会はことごとくとんでもない理由でキャンセルになり、
突然降って沸いように訪れた実地練習の機会、
それがこの牧場での「いきなり本番!」の移植だったのです。
・・・当然の結果かもしれません。

しかし、この牧場は実験牧場でもなんでもなく、個人経営の牧場なので、
このまま妊娠していない牛たちをほったらかしにするわけにはいかず、
オーナーさんと話し合って、
フォローアップとしてもう一度、3頭の牛たちに移植を行うことになりました。

一頭はルワンダ人同僚が、2頭はわたしが移植しました。
本当は全部ルワンダ人同僚にさせてあげたかったんだけど、、
「今回は練習より成功率優先!」というボスからの命令があったので、しかたなく。

で、3頭の中の最後の牛に移植してから2ヶ月ほど経過したので、
さっそく昨日、同僚と妊娠鑑定に行きました。

ガタボコの土の道をゆっくり車で登ったり降りたりして、ようやく牧場に到着。
キガリは首都だけど、ちょっとメインロードをはずれるとすぐに赤土の道が現れます。

初めてこの牧場に来たときに案内してくれた、牧場チーフのルシェマが
3ヶ月の謹慎を終えて牧場に復帰していました。
これはありがたい!
(なんで謹慎処分を食らっていたかは不明ですが)
どの牛が誰、どの牛が妊娠何ヶ月、というのをはっきりと記憶しているのは
このルシェマだけだったのです。
彼は文盲ですが、牛の生態について非常によく理解していて、牛の扱い方も素晴らしく、
このルシェマがいたからこそ、
わたしはこの牧場でトライアルを始めることを決心したくらいです。
ところがわたしたちが計画をスタートさせたとたん彼は謹慎処分となり、
ルシェマ不在の状態で受精卵移植を実施せざるをえないわたしは
ものすごく不安でした。

実際、彼がいなくてとても大変でした。
他の使用人たちは、牛を識別できないくせに、牛を平気で殴ったり蹴ったりするし、
どの牛が妊娠していて、どの牛がいつ発情したか、という大事な情報を
一切覚えることができないのです。

「ルシェマひさしぶり!帰ってきたんだね!うれしいよ!
今日はウムチョと、イニェラミヒゴと、マンジ(牛の名前)の妊娠鑑定をしたいんだけど」

「帰ってこれて僕もうれしい。
ウムチョとイニェラミヒゴとマンジか・・・、あぁ、ウムチョは先週、流産したよ」

ほら、どの牛が誰、ってすぐわかるし、それぞれの牛のことが全部頭に入ってる。
さすがルシェマです。

・・・え?っていうか流産!?

がーん・・・
だけど、ということは、いちおう妊娠はしたんだ・・・。
一歩前進。
だけど流産とは・・・残念です。

あとの2頭は?と聞くと、すぐに「こっちだ」と案内してくれました。
他の使用人たちだったら、この「牛を探す」作業だけで30分かかったんだよなー。

さっそくイニェラミヒゴをチェック。
妊娠してる!!
でも妊娠81日にしては子宮がちょっと小さすぎる・・・妊娠40~50日くらいの大きさ。
なんで??

もう一頭、マンジもチェック。
やった、これも妊娠してる!!
こっちは妊娠78日なんだけど、それ相応の子宮。

しかしなぜにイニェラミヒゴの妊娠日数と子宮の大きさが合わないのだ?

もしかして、使用人たち、勝手にこの牛たちをオス牛と一緒にしたのかも!?
通常、メス牛が発情したら、ふだん隔離しているオス牛を連れてきて
そのメス牛と自然交配させるため、数時間一緒にします。
「でもこの受精卵移植を受けた牛は、オス牛と一緒にしたらだめだよ!
お父さんが誰だかわからなくなるからね!」
って言っておいたのに・・・

わたしの予想。
想定していたより子宮のサイズが小さいイニェラミヒゴは、
たぶん受精卵移植では妊娠しなかったんでしょう。
その5週間後くらいに自然に発情したときに、使用人たちがオス牛を連れて来て、
それによって妊娠したんじゃなかな。
そうすると計算が合います。

「オス牛と一緒にした牛はどれとどれ?」
と聞いても、使用人たちの答えはバラバラ。
さすがのルシェマも先週復帰したばかりで、当時のことは知りません。
ルシェマの後釜として新しく雇われたチーフは、
字は書けるけど牛を識別できないし、大事なことは記録していない。

だめだこりゃー!
せっかく妊娠してるけど、
これじゃ受精卵移植で妊娠したんだか、オス牛が乗っかって妊娠したんだか、
証明のしようがありません。

ルシェマが謹慎になってなかったら、
こんないいかげんな結果にはならずに済んだのに・・・。
うーーっ!!悔しすぎる!!
マンジにはジャージー牛の受精卵を移植したので
今年の秋にジャージー牛が生まれたら、移植で妊娠したってわかるけど、
イニェラミヒゴに移植したのはホルスタイン牛の受精卵。
受精卵で妊娠したとしても、オス牛によって妊娠したとしても、
どっちみち白黒もようの子が生まれてくるから、どっちかわかんない。
遺伝子検査は・・・もちろんここでは無理。


運転手が「そろそろ子供たちを学校に迎えに行かないといけない」と言うので
とりあえず牧場をあとにしました。
うーん・・・どうしたものか・・・
車の中でもモヤモヤ・・・

牧場からの帰りに小学校に寄って、子供たちを拾いました。
運転手の子供(真ん中)とそのお友達。
ピカピカの小学一年生です。
今日ようやく制服が支給されたらしく、初めての制服を着て、ごきげんです!
お父さんも、
「こりゃーすごい!まるで大人みたいだぞ!うれしいか?そうかそうか!
週末は写真屋さんに言って写真をとろうな!」
と大興奮でした。
この運転手のこんなに嬉しそうな顔、初めて見たよ。
子供が6人いても、ひとりひとりをこんなにかわいがるルワンダ人。
なんかすごくいいな、とあったかい気持ちになりました。

2011年2月10日

彼らもがんばってるなー

昨日、家に帰ってのんびりお昼ご飯を食べていたら
入札選考委員会のステファニーに呼ばれました。
先週開いた入札で
業者が提出してきた商品リストでわからないところがあるから見てちょうだい、って。

え?入札?

12月中旬にわたしが計画した入札、なんともう開かれたみたいです!
たった一ヶ月半で!
すごいハヤワザ!(去年なんて半年かかったのに・・・)
いやー、彼らもがんばっているではないか!うんうん。すばらしい。

この入札、700万フランくらいする機械と、
その他のこまごました消耗品(注射器とかホルモン剤とか)を購入するためのもので、
下手すりゃわたしがルワンダにいる間にはお目にかかれないんじゃないかと思って
特に急がないものばかりリストアップしておいたんだけど、
このぶんだと来月には届いちゃうんじゃないかな?
すごい。

でもざっと業者リストを見たところ、
またしてもわたしの嫌いな業者(めっちゃルーズ)が落札しそうな感じ・・・
提示価格は安いけど、どうしようもないようなものを送りつけてくるんですよ、ここ。
今回も、ひとつの入札に3つも商品を挙げてきて、「好きなのを選んで」とのこと。
機械の商品名だけで選べるわけないじゃん。
「この3つの商品の違いはなに?インストールされているプログラムってどんなの?」
と電話したら
「販売元に問い合わせてくれ」だって。
完全になめてるこのオッサン!怒

でもいくら憤慨したところで糠にクギ、なので
仕方なくドイツの販売元にメールしました。
早く返事が来てくれることを祈ります。

あーそれにしても、とんと雨が降らない。
蛇口からは一滴も水が出ません。
そして暑いです。
ビールが最高においしいです。
植民地時代にベルギーが統治していたせいか、生ビールがあるんです、この国。

週末はぜったい生ビール飲みに行こうーっと。
バレンタインだしね。(関係ないね)

2011年2月8日

イビゴーリの季節

前回の大雨季(去年の初秋)に植えたとうもろこしたちが
どんどんと収穫の時期を迎えています。

ルワンダとうもろこしと一緒に
日本から送ってもらったスィートコーンの種も植えたんだけど・・・
見て、この発育の悪さ^^; 右のワサワサしているのがルワンダとうもろこし、左のひょろひょろが日本の。

それでも水やりと施肥をがんばったら(わたしじゃなくてガルディアンが)、
こんなに立派なのができました!!じゃーん! 左の黄色いのが日本のスィートコーン。
比較のために、右の白いのがルワンダとうもろこし。

なんと日本のスィートコーン、生で食べてもシャキシャキ甘い!
感動のおいしさです。

ためしにルワンダ人にも食べさせてみたら
「なんだこれは!イスカリ(砂糖)がたくさん入ってる!!」って
びっくり、大笑いしてました。

いやー、種を送ってもらった甲斐があったなー。
この甘いとうもろこしをどんだけ食べたかったことか・・・
それに、
日本は車ばっかり作って農作物は何も作ってないんだろ、とか
日本の農作物は薬を使ってるからマズイんだろ、とか言うルワンダ人たちに
「日本の農作物もこんなにおいしいんだぞ!」って自慢したかったんです。



だけど、
ルワンダ人がいつも食べている、この硬くて甘みもへったくれもない白いとうもろこし。
(実は日本ではこの品種を家畜のエサ用に栽培してる・・・)
じっくり炭火で焼くと、これはこれで香ばしくておいしいんですよねー。
ついつい3本も4本も食べてしまい、あとでお腹が痛くなることもしばしば^^;
仕事帰り、おばちゃんたちが夕暮れの道端でとうもろこしを焼いてるのを見ると
よだれがたれそうに。。。

結局、なんだかんだ日本のものが恋しいと言いながら
いつのまにか「ルワンダのもの」に馴染んでしまっているわたしなのでした。