Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2009年10月28日

abana beza

ちっともじっとしてない。
「見て!ねえ見て!」って
もうわかったわかった!すごいすごい!
また壊れちゃった。
トイレットペーパーの芯で作った糸電話。
おもしろいんだけど、強くひっぱるとすぐ糸がとれちゃう。

2009年10月22日

ほっとするひととき

たまには日本人とおもいっきりしゃべりたくなる
Mutzing飲んで
おいしいもの食べて
またがんばろう。
昼間は赤い土埃で覆われるキガリ市街も
夜はまるで都会みたい。



2009年10月19日

またもや

無力感だけが残る手術。
なんだろう・・・
なんとかしないといけないんだけど。
(以下、生々しい内容なので苦手な方はご遠慮ください)

首都から車で一時間半。
呼ばれて行ったのは、経済的に厳しい家庭が集まる村。
難産。
産気づいたのは二日前。
到着したとたん、異臭が鼻をつく。
地元の獣医さんが胎仔の足を引き出そうとしたら
前足が二本ともちぎれて取れたとのこと。
腐ってるな。
産道に手を入れて、思わず表情がゆがむ。
気腫胎。
死んだ胎仔の体で細菌が増殖して
体全体がガスでパンパンにふくれあがってしまった状態。
帝王切開で摘出を試みるものの
二倍くらいにふくれあがった胎仔の入った子宮は
母牛の腹腔のほとんどを占めていて、
そのうえ他の臓器とべったり癒着していて、
子宮を手術創から引き出すのは至難の技。
急がないと母牛がもたない。
今回も輸液はなし。
しかたなくお腹の中で子宮を切開して
前足のない胎仔を摘出。
庭いっぱいに集まってきていた村の人たちの中に
子供がたくさん混じっていることに気づいていた。
胎仔が現れる直前に、子供たちを外に追い出してもらう。
これはちょっと見せられない。
手術後まもなく、母牛は死亡。
手術前からすでに冷たかった体は、あっというまに生気を失っていった。
日本だったら、屠場で屠殺される以外の方法で死んだ牛は
食用にはならず、産業廃棄物となる。
でもここは日本じゃない。
山のように集まった村の人たちのギラギラした目。
喉から手が出るほど肉が欲しい。
感染は胎仔だけじゃなく、母牛にも及んでいる。
この牛を食べちゃダメだ、と村人たちに一生懸命説明する。
でもまったく聞き入れられない。
地元の獣医さんの協力を得て
穴を掘ってもらって埋めてもらったものの
たぶん夜中に掘り出すだろう、とのこと。
たった一頭だけ飼われていた、まだ子牛を産んだことのない牛。
貧困家庭に一頭ずつ牛を、という国の政策で今年配布された。
飼い主は現金収入のない未亡人。
子牛の誕生を、そして毎日牛乳が飲める日々を
心待ちにしていたことだろう。
何をどうしたらいいのだろう。
とにかくお腹がすいた。
くやしい気持ちを飲み込むように、
もくもくと遅い昼ごはんを食べた。

2009年10月12日

お食事なしで7時間

同僚の結婚式
初めてImisyanana(イミシャナナ:セレモニー用の衣装)を着ました。
雨季なのでちょっと画像が薄暗いけど・・・

2009年10月7日

なにかの古代遺跡みたいだけど・・・

草原の中に突然あらわれた奇妙な光景。
思わず車をとめてもらって、しばらくおじゃましました。

これはレンガを作っているところなのです。
熟練した手つき。
泥を型につめて次々と成型していきます。
速い速い!

泥と水をこねるのはこの子。
こちらも慣れた仕事ぶりです。

成型した泥を乾かして、ピラミッド状に積み上げて
ピラミッドの内側で火をおこして、じっくり焼き上げたら
赤いレンガのできあがり。
考えてみたらどのおうちもレンガ造り。

2009年10月2日

手術

こんなとき、つい
「ここが日本だったら助けられたのに・・・」と思ってしまう。
まだまだ甘いな、わたしは。
職場に「重度の難産」という連絡が入りました。
帝王切開の準備をしようとするけど
ふだん診療業務をしていないこの機関には、抗生物質どころか消毒液さえなく、
かろうじて見つけた、使った形跡のない手術器具を持って現場へ。
途中の薬局で飼い主と合流して、必要なものを買ってもらいました。
縫合針と抗生物質と消毒液と麻酔薬。
こんなものが街角で手に入るのもびっくりですが・・・笑
飼い主がそれらを買っている間に、わたしは先に現場へ!
途中の小学校の目の前で
運転手が子供を轢きかけて、大騒ぎになり
大幅のタイムロス。
ようやく到着して駆け寄ると、
お母さん牛はかなり衰弱していて
産道に手を入れてみると
赤ちゃん牛の前足のヒヅメと下顎がなくなってる・・・体表はパサパサ・・・
そうとうがんばってみんなで引っ張ったんでしょう。
ゆうべから産気づいていた、とのこと。
この国では獣医さんがすぐに駆けつけるシステムが整っていないのです。
赤ちゃんの生存は絶望的。お母さん牛も手術に耐えられるか怪しい。
だけどどうしても帝王切開してほしい、とのことで、手術開始。
お母さん牛をなんとかもたせたいけど
リンゲルもなければ点滴チューブもない。
とにかく急ぐしかない。
お腹を開けて、手を入れてゾッとしました。
赤ちゃん牛の足が・・・子宮の外にある・・・
苦しくてもがいた赤ちゃんが、後ろ足のヒヅメで子宮を蹴破ったもよう。
子宮破裂。
それもそうとう時間がたっています。
お腹の中は子牛から抜け落ちた毛と胎便で激しく汚染され、
子宮は弾性を失い、硬く縮んでいます。
どうにか赤ちゃんを摘出し、
硬く縮んでしまった子宮をめくら縫いして、お腹を閉じました。
皮膚を縫い始めたころ、
お母さん牛のバイタルがかなり乱れてきました。
「輸液したい!」
「ステロイド打ちたい!」
「エピネフリンがほしい!」
「お願いだから耐えてくれ!」
と心の中で叫びつつ、大急ぎで縫い終えたところで
お母さん牛は大きく伸びをして、そのまま動かなくなりました。
傍らには、ハエにたかられている死んだ赤ちゃん牛。
アフリカでの第一回目の手術は
とてつもなく悲惨なものでした。

助けたかったなぁ・・・