Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2012年3月5日

無くても生きてこれたものに囲まれて


まるまる2年ぶりの日本に降り立つやいなや、
“帰国ショックを乗り越える”という題のセミナーで言われた言葉。

「任国での2年間のことは忘れ、日本人になりなさい」

そんな無茶な、と思ったものの、
久しぶりの日本には意外とすぐ慣れて、
あっという間に帰国直後の感動も薄れていくのに、
なぜかこのブログを上手に締めくくることができないまま、
月日がどんどん過ぎていきました。

前回の日記にも書いたとおり、
「帰国ショック」から立ち直れない自分に
向き合うことができなかったからです。

今回をもって、このブログの最終回としたいと思います。

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「帰国ショック」っていうのは単なる「うらしまたろう状態」のことだろう
と思っていました。

でも違いました。

ほんとうの帰国ショックは、
1~2ヶ月してからジワリジワリとやってきます。
それは自分でも説明のしようがない「違和感」で
もしかしたら周りもわたしに対してそういうものを感じていたかもしれません。

たぶん、自分の何かが変わってしまった、ということ。

観光や見学をしに行ったのではないので、
歴史も風土も信仰も常識(だと思っているもの)も違う人たちに
自分を受け入れてもらうために、
やっぱり自分が変化せざるを得なかったのです。
もちろん外見とか生活様式のことではなく、もっと根本的なところの話です。

異文化に適応するということは
「変わってゆく自分」に適応することだったのかもしれません。


体裁を整え、かっこつける余裕はありませんでした。
まるごとの自分で体当たりするしかなかったのです。
そして、
たぶんそのせいで、「生きている」という感覚がすごく強かったのです。

最低限必要なものを手に入れたり、食べたり、排泄したり、眠ったりするために
いちいち手間と労力が必要で、
それらの作業が、「生きている」こととすごく関係があって、
一方で、うっかり「死んでしまうかもしれない」ことも、
すごく当たり前のこととして近くに感じていました。

たらいで洗濯をしながら背中で浴びる日の光とか、
便器の横でふるえながら浴びるぬるま湯とか、
派手な柄の腰布からしゃんと伸びた黒い足と、その指にべったりとつく泥の色とか、
そういう感触やにおいが、
自分の皮膚にじかにぶつかってくる感じでした。

それが、帰国してからは、
なんだか見るもの、聞くもの、触るものが、
薄いカーテンの向こうにあるように見えて、
録音した音を再生しているみたいに聞こえて、
ゴム手袋ごしに触っているように感じられて、
それに戸惑い始めたのが、帰国後1カ月くらいたってからのことでした。

「生きている」感じがしない。

自由に操れる母国語で、多彩な表現で上手に話しているはずなのに、
ほんとに大事なことが伝わらない。
水汲みも、火おこしも、必要なくて、時間はたっぷりあるはずなのに、
なんか気ぜわしくて
自分の思っていることや感じていることに向きあう心の余裕がない。

焦るばかりで満たされない。

それが、ほんとうの「帰国ショック」でした。
ルワンダでの生活に慣れる過程で経験した「異文化ショック」とはまた違う、
新たな戸惑いでした。
「でした」なんて書いているけれど、
今もやっぱり違和感だらけです。

でも、「だから協力隊になんて参加するもんじゃない」と言いたいのではなく
こんな振れ幅を経験し、乗り越えようともがいた経験そのものが
自分の力になっていくのだろう、ということです。

変化を受け入れる自由な心と、それに対応できる健康な体を大事にしたい、
今思うのはそんなことです。


ルワンダ人が笑ったときに見せる歯ぐきや、

駆け寄ってきて突然抱きついてくる子供の嬉しそうな顔、

朝日が昇るころ、冷たい朝霧を吸いながら散歩すること、

アマンダージをイジコマにひたして食べること、 そして

ギュウギュウ詰めのバスの中で爆音で流れる音楽、

そういうのがわたしの幸せの重要な構成要素だとわかったからです。




2年半という長きにわたり、このブログを読んでくださって
どうもありがとうございました。