Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2010年3月29日

償いの家

ここルワンダに数えるくらいしかいないJICA関係者以外の日本人。
その一人である佐々木和之さんのプロジェクトを訪ねました。

佐々木さんはエチオピアで10年以上もの間、
国際飢餓対策機構のミッションで農業指導をされていました。
そこで、せっかくの農村開発の成果が
戦火によって再びめちゃくちゃになるのを目の当たりにした経験から、
イギリスの大学で平和構築について学び始め、
大学院修了後、ルワンダにて紛争後の和解を進める仕事をされています。

ジェノサイドで傷害や殺人の罪に問われた人は35万人。
そのすべてを拘留し続ける経済的余裕のないルワンダ政府は、
自分の罪を認めた虐殺犯に関しては、刑期を短くし、
道路工事や土地開墾などの公益労働に従事させるという刑を適用しました。
(ジェノサイドを首謀し、民衆を扇動した人たちを除く)

でも、人里離れた山の中で「罰」としての公益労働に従事することで
本当に虐殺加害者の心に償いの気持ちは生まれるのだろうか?
一方、虐殺被害者はそれで本当に心の傷や、憎しみから開放されるのだろうか?
そんな思いから、佐々木さんは
ルワンダの牧師さんが立ち上げたNGOの職員として
「償いの家造りプロジェクト」というのを2005年から始めました。
それは、公益労働刑に処された虐殺加害者が、被害者の家族のために家を建てるプロジェクト。
“加害者を罰すること”以上に、“被害者が回復すること”を重視する考え方です。
加害者が罪の自覚を深め、出来る限りの「償い」に取り組む中で、
両者の関係修復を目指すのです。

すごいなと思ったのは、家造りにとりかかる前に実施される講習会。
グループカウンセリングなどである程度精神的に回復した被害者女性が
虐殺加害者の男性たちに、
自分の体験や今も続いている苦しみについて語り、
それ聞き、事実を真摯に受け止めることで、
彼らが虐殺に加担してしまった者の責任として、
誠意を持って事実を告白し、謝罪し、償いをする動機付けをするのです。

さらにすごいなと思ったのは、
刑期を終えた「家造りOBたち」に対しても、引き続き講習会を実施していること。
そしてその中で「家造りOBたち」が
「今後もボランティアとして、被害者家族のための家造りを続けていきたい」
と申し出てきたというから、ますますびっくりです。
実際に、元受刑者グループによる自発的な家造りは始まっています。
家造りの現場。
みんな真剣な表情で、黙々とスコップを動かし、セメントを運んでいました。
(家造りの資材は日本の支援団体からの援助で購入されています。)
この日はずいぶん暑くて、木陰で話をしてくれた受刑者の男性は
作業でかいた汗を拭きながら、
「罪を告白するまではずっと苦しかった。
この家造りは自分でしたいと思ってやっていることなんだ。
だから今の自分の心はとても平和なんだ」
とにこやかに語っていました。

わたしが想像していた「虐殺加害者」とまったく違う、穏やかで堂々とした姿。
家造りプロジェクトは、家を受け取る被害者の心の回復だけでなく、
参加する受刑者の心の回復にも役立っているのかもしれません。

自分がナタを振り下ろした相手が
実は自分や自分の家族と同じように、話し、食べ、笑い、泣く、
そういう「生身の人間」だったのだ、ということ。

自分の家族を殺し、自分にこんなひどいことをした相手も
実は自らの罪の意識に苦しむ「生身の人間」だったのだ、ということ。

罪を認めて、罰を受ければ終わり、というのではない、
この小さな国で、虐殺加害者と被害者が共に生きていくための
真の和解と共生のための取り組みは
これからも続いていきます。

2010年3月25日

メモリアル

ルワンダ各地にある虐殺記念館(ジェノサイドメモリアル)。
実際に行ったことがあるのは、
その中でもパネル展示が並ぶ博物館のようなところだけで、
今回のように、実際に虐殺の現場をそのまま残してあるようなところに行くのは初めてでした。

ンタラマの教会とニャマタの教会を訪れました。
ジェノサイドサバイバー(虐殺生存者)が
当時のことを話しながら案内してくれます。

これらの教会があるブゲセラという県は
もともと居住地には向かない深い森で、
フツ族による圧迫でツチ族の人たちが追い込まれた地域です。
'94年の大量虐殺は何の前触れもなしに突然起こったのではなく、
その何年も前からこういう地域を中心に
小規模な虐殺が繰り返されていました。
その度ごとに、教会は住民をかくまうシェルターのような役割を果たしてきたのですが
'94年のジェノサイドでは、逆にそうした教会が襲撃のターゲットとなってしまいました。

最低限の日用品を持って逃げ込んできた人々であふれかえる教会に
容赦なく投げ込まれる手榴弾。
押し入ってくる殺人鬼と化した人々。
振り下ろされる鉈(なた)、鍬(くわ)。

ニャマタの教会で話してくれた青年は、当時まだ小さな少年でした。
ここは、いっきに押し寄せてきた民兵によって
1万1千人が殺され血の海となった場所。
その中で生き延びたのはわずか7人。
彼はそのひとりでした。
その小さな瞳がここで見たことや、
彼がどうやって生き延びたか、という話は、
ここには書きません。
おびただしい数の被害者の衣服も、
もはや誰のものかわからない、ずらりと並ぶ大量の骨も、
壁に残る血痕も、
天井に星のようにあいた銃痕も、
なんだか現実のものとは思えず、ただ呆然と眺めるだけでした。
でも、あるものを見たとき、
ここで起きたことが急激にリアリティを持ってわたしに迫ってきました。

ボールペン、魔法瓶、サンダル、ノート、たらい・・・
教会に逃げてきた人たちがここへ持ち込んでいた日用雑貨です。

たぶん日本から来てすぐにこれを見たとしたら
「“昔の”日用品がほこりをかぶって並んでいる」ようにしか見えなかったでしょう。
でも、ルワンダに住んでいるから気づいたのです。
それらの日用品が
ルワンダでの“今”のわたしの生活の中に溶け込んでいるものと同じであることに。

どういうことかと言うと、
ルワンダのように自国に産業がない国は、ほとんどの雑貨を輸入に頼るしかなく、
そのような国に入ってくる商品というのは、
とにかく安っぽくて、デザインのバリエーションに乏しいのが特徴です。
国じゅう、どこに行っても同じ製品ばかり。

教会にころがっていたボールペンは、わたしが職場で使っているのと同じもの。
魔法瓶も、行きつけのお店でおばちゃんがミルクティを注いでくれるのと同じもの。
サンダルも、わたしがお風呂場で使っているのと同じもの・・・。
決して“昔の”日用品なんかじゃない、今もここのみんなが使っているもの。

だから、ほこりをかぶったその日用品を見たとき、
ジェノサイドは、つい先日起きたばかりの生々しい現実なんだということ、
もはやわたしにとって外国人ではなくなったルワンダの人々が
ここで心底恐ろしい思いをし、泣き叫び、血を流したのだということ、
そういったことが、はっきりと、肉感をもって伝わってきたのです。

出口で、記帳と寄付を求められ、感想を聞かれたものの
何を言えばいいのか、むしろ何を思えばいいのかさえわからず、
ありきたりな言葉をひとつふたつ残し、
麻痺したような頭をかかえて帰路に着きました。

2010年3月23日

Abaphakazi(アバパカズィ:未亡人)

虐殺未亡人。
ジェノサイドで夫や家族、そして住む家を失った女性たち。
国の保健省の中のアベガという組織がそんな虐殺未亡人の支援をしています。
山間の村に同じ形をした家々を建て、、
そこから徒歩数時間の場所にある畑を用意し、
それまで路上で寝たり、親戚の家を転々としたりしていた女性たちを集めて
そこに住まわせています。
そうやって組織された虐殺未亡人グループのひとつを訪ねました。
リーダーの家の薄暗い客間にぎっしりと集まった女性たちが
聞かせてくれたいろんな話。

自分たちで作った互助組合のこと。
トラウマに苦しむメンバーの家を訪ねて話を聞いてあげたり、
レイプされてHIVに感染したメンバーの薬代を出し合ったりしていること。
お金があったら、もっと野菜を作って
それを売って現金収入を得たい、と思ってること。
ジェノサイド孤児をひきとって養育している未亡人も多くいること(これに一番びっくり)。

ルワンダは小さな小さな国だし、
もともとツチ族とフツ族は混ぜこぜになって暮らしていたから
ジェノサイドの後も、
二つの民族が同じ地域で顔をつき合わせて暮らさなければなりません。

ジェノサイドで加害者側となった人たちと同じ村で暮らして大丈夫なんですか?
という問いには、
「わたしたちは同じ人間です。今はもう何の問題もありません」
という模範的な回答が返ってきたのですが、
それはやっぱり本心ではないと思います。
民族融和を進める今の風潮の中では、
そう答えないと自分の立場がまずくなる、はず。
本当は、やり場のない怒り、恨み、恐れの気持ちと闘いながら、
ときにはいろんなことを諦めたりしながら
そうやって日々は過ぎてきたのだと、
彼女たちの顔に刻まれたしわを見ながら思いました。

なんだなんだ?ムズング(白人)が来たぞ?

2010年3月21日

少年兵


元隊員の加藤悦子さん率いるスタディツアー。
日本からの5名の参加者に混ぜてもらい、
’94年のジェノサイド以来、今も続く平和構築の歩みを見て回りました。
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とりあえず、ひとつずつ記録していこうと思います。
今日は帰還少年兵のための社会復帰支援施設。

ジェノサイド直後に、仕返しを恐れてコンゴに大量に流れ込んだ
フツ族を中心とするルワンダ人難民。
その中にいた少年たちが、
自分の意思、あるいは周りの大人たちの勧め、
あるいは拉致のような形で
抵抗軍の少年兵となり、
森の中でゲリラ生活を送っていました。


ここでちょっと横道にそれてコンゴに無数に存在する抵抗軍、民兵組織の話。
その資金源となっているレアメタルの非合法取引。
【レアメタルの恩恵にあずかっているのは誰?】
ジャングルの中に作られた秘密の飛行場。
そこへ買い付けにやって来るのは
「白い人」と「黄色い人」。
レアメタルの行き着く先は、わたしたちが大好きな薄くて軽いケータイ・・・

知らないふりしても
ここの人はみんな知ってる。
こんなところでも世界はつながってしまっている。


さて、少年兵の話に戻ります。
ルワンダ政府の武装解除・社会復帰委員会が運営するこの施設。
豊かな水をたたえるムハジ湖のほとりの爽やかな林の中にそれはあります。
ラジオ放送でルワンダ政府からの呼びかけを聞き、
森を抜け出して、MONUC(モニュク:国際連合コンゴ民主共和国ミッション)の協力で
祖国へたどり着いた少年たち。

ここで数ヶ月間、社会の一員として暮らすための練習をし、
職業訓練や識字教育を受けます。
人を殺すのは悪いことだということ、
働くのはすばらしいことだということ、
トイレはトイレでするということ・・・

それから委員会は、彼らを受け入れる家族や親戚、里親を探し、
はじめの2年間は少年の学費を援助します。
さらにその後も少年が学校へ通い続けることができるよう、
受け入れ家庭が現金収入を得るための手助けもします。
具体的には、商店を始めるための資金を援助したり、
家畜を飼い始めるための資金を援助したり。
これまでにここを卒業した少年の数は約750名。
コンゴに残る少年兵の数は未知数とのこと。
将来の夢はアーティストになること。
枕元にはたくさんの力作。
施設では、三度のあたたかい食事や、医療も提供されます。
そしてひとりひとつずつ、蚊帳つきの清潔なベッドも与えられます。
(これがどれだけすごいことかというと、
ルワンダの一般的な中学・高校の寮では
学生二人がひとつのベッドでくっついて寝るのが普通。)
「僕も撮ってよ!」と蚊帳の中から声が。
「だったら出ておいで」と言うと、
恥ずかしそうにに出てきました。
今いる32人の中ではこの子が最年少で13歳。

少年たちの生活は自治を基本としていて
年長(17、18歳)の数名が
自治会長や寮長などの役員をして
ルール違反や喧嘩がないように気配りしています。

少年兵、と聞くと、
シエラレオネの子ども兵のことがまず頭に浮かぶため、
目つきの鋭い、薬物中毒に陥った傷だらけの姿を想像していましたが
ここの少年たちは拍子抜けするくらい「ふつうの少年」たち。
HIV感染や薬物中毒も今のところないとのこと。
とはいえ、彼らが心に負った傷や、体験したおそろしい出来事、
そして森の中で暮らしている間に失ったもの、得られなかったものが
彼らの未来に与える影響は無視できないでしょう。
それでも、貧しい財政の中で彼らを援助しようとする政府、
「もっと勉強がしたい」という彼らのまっすぐな目、
それを信じたいと思わずにいられません。

2010年3月14日

念願の

ニワトリを入手しましたよ。
名前はローザです。よろしく。

かばんから出されたローザ。


両足を縛っていたひも(バナナの木の皮でできてる)を解いてやると、
コーッコッコッコッコ・・・と言いながら我が家の庭を走り回り、
虫を食べたり、警備員が植えたばかりの豆を食べたり(こらこら)。



ところが、いきなり翌日から脱走を試みるローザ。

わたしが仕事にいっているあいだ、

うちの警備員が何度も敷地の外まで捕まえに行くはめに。




“ローザは旦那さんを探しに行こうとしているんだよ。
あの「クルークルー」っていう声は「卵が産みたいよー」って言ってるんだよ。”

という、ほんとかどうかわからないアドバイスに従い、
ローザの旦那さんを探しに行くことに。

地方からニワトリを売りにくる人が集まるウムリンディ市場。
アヒルとかウサギとか七面鳥も売られています。
売られている中で、一番足が太くて、トサカがりっぱな雄を購入。

ローザと違って体が大きいし力も強いので、
バスの中でバッグごとビョンビョン跳ねて、押さえるのに大変でした。
名前はジャックに決定。
体の小さなローザをいじめないか心配しましたが
カンカン照りの中をバッグに閉じ込められて移動したあとだったので
ちょっと放心状態のジャック。
そんなジャックをローザはとても気に入ったようで
嬉しそうにあとをついてまわってます。
どこに行くにもふたりいっしょ。

うんうん、よかったよかった。

ジャックとローザはルワンダ在来種なので
ハイクォリティな卵(&鶏肉)を提供してくれる予定。
たのしみです!

2010年3月3日

Inama最高!

さあ今日はスタッフ総出の会議(inama イナーマ)ですよ!

朝8時から、トイレ休憩もお茶休憩もなく、9時間ぶっとおし。

今日のテーマは、2010年-2011年の行動計画。
うーん、壮大です。
え?お昼ごはん?
2時にファンタとドーナツとパウンドケーキが配られ
それをモソモソと食べながら会議は続行です。
全然足りない・・・おなかすいた・・・
後半はさすがに疲れてきてグダグダになるのかしら、と思いきや
みんなずーっと同じテンションで嬉々として発言しています。
彼らの新たな一面をまたひとつ発見。
ルワンダ人は会議が大好き!
日が傾いてきて、
この半野外の会議スペースに西日がギラギラと差し込んでくると
もう喉が渇いて渇いて、朦朧とする意識の中で
ますます白熱して聞き取り不能になっていくキニャルワンダ語・・・
そして会議の最後、驚愕の新事実が。
これからはもっと頻繁にこの総会を開こうではないか、
そうだそうだ、賛成賛成!
ということで、この会議、毎月最終金曜に開かれることになりました。
ゴーン・・・