Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2011年11月18日

ルワンダふたたび

これを書かないとこのブログを締めくくれない、と思いつつ
日々の雑事に押し流されてなかなか書けないまま
一ヶ月が過ぎてしまいました。

なかなか書けないほんとの理由は
自分の心にある。

なかなか乗り越えられなかった帰国ショック。

だけど今回、もう一度ルワンダに行ったことで
いろんなことが見えてきた。

やっぱりわたしはルワンダ人じゃない。
だけど、ルワンダはやっぱりふるさとだ。

それがわかった。



“視察の旅”(主催:協力隊を育てる会)


今回ルワンダに3ヶ月ぶりの里帰りをすることができたのは
このすばらしい企画のおかげ。

任地にいる隊員に会いに行きたい!という留守家族のためのツアーで
これに申し込むと引率者付きで隊員に会いに行けるのです。
その引率者というのは、以前その国に派遣されていた元隊員、つまり今回のわたし。
個人で航空券を手配して行くよりちょこっと高額ですが
アフリカなんて初めて!な方にはこの企画はとてもヘルプフルだと思います。

引率者なので、参加者の動きや体調に気を配って
ちょっと気疲れはしますが、
それでもやっぱりひさしぶりのルワンダはほんとに
「落ち着く~!!」のひとことでした。

そして、
同僚や近所の人たちに再会して、
「隊員じゃない状態=使命がない状態」だとこんなにも寛大な気持ちで接することができるのか!
ということも、発見。

それから、外国人にとっては住みやすい国だと感じました。
隊員としての日々には実にたくさんの制約があって、
その住みやすさをあまりを感じられなかったけど。



同時に、
こんな旅行や視察じゃルワンダ人の姿は何にも見えてこない、とも思いました。
今回、「これがルワンダ?まるで違う国みたい!」と感じることが何度もあったのです。
今回の参加者の場合は
自分の娘や息子である隊員からディープなルワンダについて聞くことができますが、
そうではない、よくある「ほんの数日の」海外視察を
日常からの一時的エスケープ以上のものにするのって簡単じゃない。


そんなことを思ったり。


次回、帰国ショックのことを書いて、このブログを閉じる予定です。

2011年6月23日

ただいまー!

すごいです。この暑さ。湿気!
まるでお湯の中を歩いているみたい・・・

ようやく日本に到着ですっ!!!
ただいまー!!

先輩隊員の帰国を見送りながらいつも
「わたしもこうやってルワンダを去る日が本当に来るのかなぁ?」
なんて思っていたけれど。

アフリカに初上陸して見るもの聞くものすべて想定外でオドオドしていた日々は
振り返ればそこにあると思っていたけれど、
気がつけばそれははるか昔。



エンテベ空港での乗り継ぎトラブルで
予定より1日遅れての到着です。
あのときはもうこのままアフリカ脱出できないかと思った!
さすが、最後の最後までやってくれるぜアフリカ!! ヽ(´▽`)/

今週いっぱいは帰国プログラム(いろんな手続きや健康診断など)のために
ここ東京にいることになります。
鹿児島に到着するのは26日(日)の予定。


とにかくね、すごいです。
まだお願いする前からすべて先回りして用意されているんです。
丁寧でてきぱきしたカスタマーサービス。
細かく言うとキリがないんですが
もうなにもかもが感動の嵐です。

でもやっぱりここで特筆すべきは
ごはんのおいしさ!!!

到着した翌朝、吉野家で朝定食を食べました。
卵と納豆をのせたごはんを口に入れた瞬間
なんかもう胸がいっぱいになって
涙がじわっと出てしまいました。
「おいしい・・・おいしい・・・」
とぼそぼそ繰り返しながら食べるわたしたち。

たぶんまだまだ感動は続きます。

2011年6月12日

送別会ウィーク

立て続けに送別会の日々。

まずは職場の事務の女性軍団と
その尻にしかれている獣医師たちが
うちに押しかけてきました。

女性陣、パクパク食べつつよくしゃべる。


プレゼントにもらった青いドレスをその場で着てみたところ。
みんな「ゆみ!すごく素敵だ!」と大はしゃぎ。
うれしいんだけど・・・日本で着たらちょっと変かも・・・?


お次は職場の別の同僚グループ。
わたしはひそかにこの人たちを「有閑マダムの会」と呼んでいます。
だってこのバー、入るだけで3000フランもチャージされるんです。
そんなとこ、ふつう入れないっす!
しかもウィスキーとか飲んじゃってるし!
ビロードみたいな生地の素敵な靴をもらいました。
さすが有閑マダムの会。
それから、「これはユミのお母さんに。」と、豪華な布地を手渡されました。


最後は聖歌隊のみんな。
ギスメンティの交差点の近くにあるレストランにて。
みんなほとんど学生なのに、この夜、わたしには1フランも払わせなかったんです。
なんて優しい人たちなんだ・・・
プレゼントのマグカップには、
「ユミはわたしたちにとって天からの恵みだ」
ってプリントされていて
わたしは帰宅してから泣きました。


あわただしい帰国前の日々。
片付かない荷物たち。
だけど心は決まってる。
わたしはこの国に必ず帰ってくる。

2011年6月9日

アバラは大丈夫

アバラ事件で心配のメールがたくさん来てしまいました。
ごめんなさい。

結局、気合いで最後の移殖を乗り切り、
その後、あまりにも痛いので病院に行きました。
JICA指定のプラトーポリクリニックにはレントゲンがないので
そこからまたバスに乗ってレントゲンセンターみたいなとこに撮りに行きました。

で、結論としては、アバラが二本折れていました∑(; ̄□ ̄ 
超びっくりー!
生まれて初めての骨折が
アフリカで牛に突き飛ばされて・・・だなんて予想もしなかったです。
いやーこれも思い出になりますね!
なんてのんきなことを言えるくらい、
今は痛み止めのおかげでだいぶラクになってきましたよ。

さて、そんなことやってたら
ルワンダ出発まであと10日になってしまいました。

職場の送別会はルワンダ式で、
見送られる側なのに家に押しかけられるシステム。
そしてごちそうしないといけない。
がしかし、今回はなんと同僚たちでお金を出し合って買ったらしい
「God bless you」と書かれたブロンズ像みたいなのと、
真っ青なドレスと、
それに合せる真っ青なピアスとネックレスとブレスレットと、
真っ青なバッグと、少しのお金が同封されたメッセージカードをもらいました。

いやーびっくりびっくり。
ブロシェット(やぎの串焼き)ふるまってよかった。

JICA全体の送別会では、
後輩隊員たちによる踊りや、替え歌や、似顔絵や、
わたしたち帰国隊員それぞれのイメージで作ったというデザートの披露や、
なんかもう盛りだくさんでとっても嬉しかったです。

そして、お仕事のほうは、
フィールドワークをすべて終え、
あとは後任に引き継ぐための書類整理やら、
器具棚のラベル貼りやら、
受精卵の出納簿の管理をストアキーパーに教えるのやら、
なんかそういうこまごましたことを楽しみながらやってます。
こういう作業、好きみたい。

そんな今日このごろです。
日本はジメジメしているのかな?
みなさん、もうすぐ帰ります。
元気で待っててください。

2011年6月6日

なにごとも経験です

この2年間、いくつもの結婚式に参列したけれど
これが最後の結婚式。
花嫁は同僚のエスタ。

午前中の儀式は「グサバ」、日本の結納みたいなものです。
新郎になる男性とその親族一同が、新婦になる女性の実家へ行き
「どうか我々にお宅の娘さんをください」とお願いするわけです。

参列者、何時間待たされても文句ひとつ言わず座って歓談してます。
3時間押し。

さあ始まりました。
まずは、新郎側と新婦側の親族同士による交渉スピーチ。
「おたくの娘さんをください。」
「大事な娘です。代わりに何をくれますか」
「牛を1頭差し上げます」
「いやいや、一頭では差し上げられません」
みたいなやりとりを長々とするわけです。

交渉が終わると、牛が運ばれてきて
牛を扱う聖なる爺さんみたいなのがひとりで歌って踊ります。
今回は牛を持ち込むのは省略したらしく、
聖なる爺さんが歌っている間、たびたび録音テープから牛の鳴き声が流れていました。
それが済むと、親族や関係者のスピーチ。
この間、家の中ではドタバタと花嫁やブライズメイドたちの着付けが行われます。





花嫁といっしょにブライズメイドたちの登場。



「え!え!チャイナがいるぞ!」
「見ろ!チャイナだ!」

騒然となる会場。
あちこちから向けられるカメラ。
とほほ。。。

それから指輪の交換。


このあと、花嫁から花婿&花婿の家族への贈り物贈呈、
それから花嫁と花婿によるファーストバイト(お互いにファンタを飲ませ合う)、
そしていくつかのスピーチで、いったんここはおしまい。

はゾロゾロと教会に移動して、そこで結婚式です。
さらにまた移動して披露宴もあります。
まともに最後まで参列すると、夜の8時、9時までいることになるから大変。

でも、この日は折れたアバラが痛むので、ここで退散することにしました。

結婚式の2日前に突然頼まれたブライズメイド。
当日は想定外のりかちゃん人形みたいな衣装に一瞬ひるんだけど、
まぁこれもいい経験・・・かな?

着付けの人に
「えー!この子、なんで体の前と後ろが同じなの!?これじゃドレスが下がっちゃう!」
って言われたけど、そんなのルワンダ人と比べられても困るよね。

エスタ、ありがとう。
いついつまでもお幸せに。

2011年5月25日

テクノロジーフェスタと初めての怪我

いま、ブタレという南部州の町に来ています。
ここから車で一時間のところにある国営牧場で
例のごとく移殖の準備をしています。
シスター経営の宿泊施設、素泊まり3000円フランなり。
入浴はコンクリの上で水をかぶらないといけないけどそれは慣れてるのでOKなり。

がしかし、今夜はちょっと体がフツウじゃないのです。
それについてはあとで。


先週末、東部州のニャガタレという町で
同期の佐和ちゃんが主催する「テクノロジーフェスタ」の
お手伝いをしてきました。

セカンダリースクール(日本の中学&高校合体版)で活動する彼女も
わたしと同じ、あと一ヶ月たらずで帰国する隊員です。
2年間の集大成、満を持しての開催となるこのフェスタ、
日本の様々なテクノロジーを紹介した画像
(洗濯機から東京スカイツリーまで)を大画面で見てびっくりしたあとは、
各教室に分かれて隊員が披露する実験ショーを体験します。

理数科教師隊員である佐和ちゃんは
模型の風力発電で、電気が灯るのを披露。

コンピュータ隊員は、その場でネットワークを構築して見せて
ニャガタレセカンダリースクールのHP作成を体験させ、

土木隊員は大量の砂を苦労して運んで
地震のときの土壌液状化現象を再現して見せ・・・

そんなのが全部で14種類!!
生徒たちは前もって配布されたチケットを片手に、実験を見て回ります。

ちなみに、わたしとウッシー、獣医隊員ペアは
精子が元気に泳ぐ姿を顕微鏡で見せたあと、
屠畜場で買ってきた牛の子宮を使って
人工授精のデモンストレーションをやりました。
生命の神秘、です!
相手が思春期真っ盛りの子たちだからどうなるかちょっと心配だったけど
「今から、生きてる精子をみんなに見せますよ!」と言うと、
ワクワクした顔で隣の子と「生きてるんだって!動くのかな!?」って言ってるし、
「一ミリリットルの精液に一億の精子が含まれてるんです」と言うと、
「えっ!!」って声に出してびっくりしてるし、
なんかほんとみんな素直で純粋で、こっちがびっくりでした( ̄□ ̄;)!!

家族はほとんどみんなおうちで亡くなるし、
母親は5人も10人も弟妹を産んでいるし、
自分が番をしているヤギたちは見てる前で交尾するし、
そういう、生とか性とか死とかが身近にフツウのこととしてありふれているから、
彼らのそういうものに対する意識はとてもシンプルなのかもしれません。


見てください!この真剣な覗き込みかた!





そんなわけで、
「世の中のテクノロジーと、学校で勉強していることとはつながっている」
ということを生徒に実感させることで勉強に対する意識を変えたい!という
佐和ちゃんの思いがつまったフェスタは大成功!ヽ(´▽`)/
あ、NewTimesに記事が載ってますよ ↓
http://www.newtimes.co.rw/index.php?issue=14634&article=41455


その三日後の今日、わたしは出張先でやっちまいました。

牧場にて作業中、ルワンダに来て初めて牛に突き飛ばされました。
ルワンダ牛、信じてたのに・・・ばかやろー!

クラッシュという、牛を固定する木枠の中で
牛が外へ出ようと暴れだし
制止しようとしたわたしを巻き込んで
狭い木枠のなかで牛がジャンプしたり突進したりを繰り返し、
わたしはその中でペラペラの紙くずのようにもみくちゃにされ、
ようやく木枠のすきまから外へ這い出しました。

みぞおちを強打して呼吸が止まっていたけど
しばらく浅い息を繰り返していたら落ち着いてきてホッ。
「ここでひるんではだめだ!日本人の魂を見せるのだ!」とか思って
心配する同僚たちに
「ぜんぜんだいじょーぶ!さぁ、続けよう!」と強がってみたものの
体を曲げるたび、力をいれるたびに肋骨全体に鋭い痛みが走り、
夜になった今も、息を吸うたびに顔がゆがむくらい痛みます。

うーん・・・折れたのかなぁ?

とりあえずヨロヨロしながらでも明日の作業までは終わらせて、
それから病院行くかどうか考えます。
意外と朝起きたらめっちゃ治ってるかもしれないし!

2011年5月16日

ハイコレステロール生活

トローチが売ってないんです。
処方された咳止めシロップ、効いてるのかどうか・・・(;-_-) =3

とはいえ、一昨日くらいまでは咳しすぎてゲロっちゃう始末だったんですが、
ようやく咳がおさまってきました。

食欲旺盛、今日は卵を合計4つも食べました。
お昼に庭のネギと一緒に卵を炒めて和風パスタ、
夜はオムレツにしてアボガドと一緒にバゲットにはさんで食べました。

うちの隣は商店で、
家を出て10歩も歩かずして買い物ができて便利なのですが
その商店に最近おいてる卵が安くておいしいのです。

ルワンダで売ってる卵には2種類あって
「アマジ イニャルワンダ」と言うと、
ルワンダ在来種(地鶏みたいなの)が産んだ小ぶりの卵をくれます。
これは黄身が真っ黄色でおいしいの。
で、ちょっと高い。一個120フラン。
一方、「アマジ インズング」と言うと、
ひとまわり大きい、日本で売ってるM玉くらいのをくれます。
これは輸入された大量生産用の鶏が産んだもので、
彼女らは在来種と違って毎日産むので安いのです。一個100フラン。
しかしこの卵の黄身はなんと真っ白・・・!
ビジュアル的にあまり食欲をそそりません。

隣の商店のオヤジが最近仕入れたのは、
後者の「アマジ インズング」であるにもかかわらず、
黄身が黄色いというお得な卵。
昨日買いに行ったら「いい卵があるんだよ~」と言うので
じゃあ4つちょうだい、と買ってみたらたしかにいい卵でした。

ちなみに今、アボガドが旬です。
握りこぶしよりひとまわり大きいのが50フラン。
その倍くらいあるのが100フラン。
これまたハイコレステロールだけど、おいしいです。
森のバターっていうくらいだもんね。気をつけなきゃ。

となりの商店と店主

そうそう、国の試験牧場で最初に移殖したグループが、
今月末あたり、妊娠鑑定できる予定です。
何頭受胎してるかな?
あまり期待してないのだけど(-_-;)||||||
すでに発情が来て不受胎っぽいのが3頭、不明なのが5頭。

ちなみに先週末、
ゲホゲホいいながらその牧場にて第三グループの移殖をやったんですが、
予定していた9頭のうち4頭は状態がイマイチだったので見送ることにし、
残る5頭にどうにか移殖しました。
見送った分の4つ、凍結受精卵が残ってます。
こやつを移殖しないと日本に帰れません。
というわけで同じ日に別の8頭を選んで、
耳にホルモン剤を埋め込んできました。
移殖予定は6月2日。

なんとその翌日の6月3日は早くも帰国報告会です。
たいへんだー!

さーてと。
今日もがんばって仕事するか。
ほほー。忙しい。いいことだ。

2011年5月12日

ごほごほ


こちらルワンダはあいかわらず雨です。
ドロドロの泥道をすべらないようにおそるおそる歩いてます。
もうぐっちゃぐちゃ。

JICAの機関紙やなんかで
日本国内で協力隊OBたちが
それぞれの特技をいかして被災地の支援活動を行っている様子を見て
頼もしいな、と思う今日この頃です。
たしかにああいう場所では協力隊経験者は役立つと思います。
水がなくても電気がなくてもそれが普通、という場所にずっといたし、
ないないづくしの中で模索することも他の人よりはちょっと慣れてるかも。

今こそ、途上国で培ったそういう力を日本社会に還元するときなんだと思います。
わたしも帰国後、ぜひ協力したいな。
専門分野で協力できたらいいけど、そうじゃなくてもいい。


それにしても・・・
しゃべると咳がとまりません(`Д´)=3
どうしたものか。

さて、ちょっと早いですが帰国フライトが決まりました!
6月20日の夕方、成田に着く予定です。

いよいよ帰国が現実の話になってきました。
(いや、もともと現実の話だったけど)

「そのとき」は必ずやってきます。
そのときが来たら、どんな感じがするんだろう。
泣くんだろうか。

わかりません。
でも今はとにかくこの風邪で消耗して痩せてしまった体を復活させるべく
しっかり栄養とらなくてはね。

配属先の近所にある、ジョンのレストラン。
このメランジェ(盛り合わせ)以外選択肢はないのだけど
なかなかおいしいし、800フランだし、ランチタイムに時々利用してます。

奥さんのローザは配属先の同僚で、とってもやさしいひとです。
でも今日のローザはなんだか顔色が悪くてしんどそうでした。
できるだけ長く元気でいてほしい。

それから先週、カリムに赤ちゃんが生まれました。
先々週はファブリスのところに赤ちゃんが生まれてお祝いに行きました。
とりあえず咳が止まるまではカリムの赤ちゃんを見に行けないので
早く治さなくっちゃ。

あと、掃除婦のダンシーラが最近冷たい。
職場のティータイム、わたしにだけ牛乳をくれない。むかつく~。

それから秘書のリリアンがバイクタクシーに乗ってて事故って
大怪我を負いました。
で、その治療のために病院へ向かう途中
またもやバイクタクシーから転落して怪我をしたみたいです。
かわいくて優秀なリリアンにこれ以上悪いことが起きませんように。
早く帰ってきてほしいです。

2011年5月11日

出張連発中

職場から車で3時間半もかかる牧場に通う今日この頃。
15頭にホルモン剤入れたのが先週の話。
それの反応をチェックして排卵したか確認して
来週の移殖の日程を決める、っていうのが今回の出張の内容なんだけど・・・

出発の前日になっても39度の熱が下がらない。

ふらふらしながら病院に行って、
悪寒でぶるぶるふるえながら3時間も待たされて
「マラリアじゃありませんね、しかしまぁこの熱はなんでしょう?
とにかく下げましょう」
というわけで注射を打たれることになりました。
注射っておしりですよ、ここでは。
しかもそんじょそこらの痛さじゃないんですよ。
息が止まるんですよ。痛すぎて。
でも熱が下がって楽になるなら、と思って
涙をうかべてベッドをバンバン叩きながら痛みに耐えたのに
暗い部屋の掛けぶとんもない硬いベッドに寝かされて(これでも特別待遇)
さらに一時間以上、経過観察という名のもとに放置され、
結局熱は下がらず、
処方された薬を飲んで翌日になっても下がらず llll(-_-;)llllll

明日の出張どうしよう・・・
牛の発情は待ってくれないから、
「2、3日延期しましょう」ってわけにはいかないし。

ええい、これでもくらえーっ!と、
気合い一発、日本から持ってきていた座薬を投入!
効くはずだ!と確信しつつ寝てみる。

予想通り意識がぼんやりして、汗がたくさん出て
目が覚めたときには37度台まで下がっていましたヽ(´▽`)/

とは言え、声を出すたびにむせるほど咳こんでしまうので
マスクしてなるべくしゃべらないようにして
予定通り出張を強行!

車の手配に時間がかかったのと
広範囲の交通規制をやっていて迂回路を探すのに手間取ったのとで
(どこにも迂回路が書いてない。そこらじゅう右往左往する車だらけ(;-_-) =3)
ようやく牧場について仕事をすませたらもう真っ暗。
そこから車で一時間のブタレという町へ行って宿を探します。

いつも同僚たちと泊まる修道女の施設は
「入浴=タライの水をかぶる」系で、
今のわたしの体調にはちょっとハードすぎるので
わたしだけ観光客向けのお湯がでる高級ホテルへ。
夕ご飯に注文した緑の野菜のポタージュがあったかくて喉に気持ちよかった~。

翌日もまた牧場で作業して
この日は早めに終わったのでホテルに戻ってタライで洗濯して、お散歩へ。

ブタレの町にはアイスクリームを売っている店があるらしい、と聞いていたので
そこを探してウロウロ・・・
ブタレ在住の隊員に電話したりしてようやく発見した小さなお店は
なんだここかー!っていうくらい、しょっちゅう通ってる場所にありました。
なんで今まで気づかなかったんだろ・・・(・_・)?

お店の名前は
INZOZI NZIZA (インゾズィ ンズィーザ)=「すてきな夢」
地元の太鼓たたきのおばちゃんたちが作った協同組合のお店なんだって。

ルワンダのこういう喫茶店で扱ってるのは
ふつう、チャパティ、揚げパン、サモサにミルクとファンタくらいのものですが
なんとここで売ってるのは
ソフトクリームに手作りミックスフルーツジュースにベーグル・・・
と超画期的なラインナップヽ(´▽`)/
おばちゃんたちもおそろいのかわいい三角巾をつけて元気に動き回ってて、
店番の女性が仕方なさそうに座ってるそのへんのお店とは違います。
ソフトクリームが食べられるのは
たぶんルワンダじゅうでここだけじゃないかな?
間違いなく白人による指導・援助が入っている雰囲気バリバリ。

今週末も金、土、日とブタレ出張なんだけど
このお店の発見により、だんぜん楽しみになっちゃいました。
それまでには風邪を治すぞ!
次回はいよいよ移殖です!


あ、そうそう!
これ、ルワンダ動物資源開発公社のホームページ。
http://www.rarda.gov.rw/
トップページにわたしがいるよ!

2011年4月1日

日本のことを想う

以前の日記でも少し触れましたが、
東北地方太平洋沖地震の発生から3週間。

震災で被害を受けられたみなさまにお見舞い申し上げます。

テレビでもラジオでも、朝から晩までずっと日本のことを報じています。
ルワンダ人もみんな心配しています。
会う人ごとに「Ihangane」と言われます。ルワンダの同情の言葉です。
わたしが通っている教会でも、今も日本のためにみんなでお祈りしています。


これが自分の母国かと目を疑うような映像に、隊員たちも心を痛めています。
遠い国にいても、心はいつも母国にあるんだということをあらためて感じています。
隊員たちの間で、インターネットを通じたファンドレイジングが始まっています。
http://justgiving.jp/c/3774

今こういう事態にあって、あえてここにいる意味をあらためて考え直しています。

ずーっと前、
「ルワンダにはJICAボランティアがいるけど、
日本にはどこの国の援助団体が入っているの?」
とルワンダ人同僚に聞かれたとき
「日本は先進国だから援助なんか受けてないよ。」
と答えたのを覚えています。

今、いくつもの国が日本に技術チームを派遣し、
海外のNGOが救援にかけつけ、
最貧国のひとつであるルワンダまでもが日本に義援金を送ったようです。
泥を塗り固めた薄暗い家で、
おなかをすかせた子供たちが生のイモをかじってる横で
元の色がわからなくなるくらい着古されたシャツを着た人たちが
唯一の電化製品であるラジオに耳を傾け、
日本の危機を心配し、応援してくれています。
今わたしたちが蒔いている種が、
回りまわって日本の未来を守ってくれることを信じて
わたしたちは日本が大変な状況にある今も、あえてここでの活動を続けます。

寒空の下、不安な気持ちで過ごしている方々が
一刻も早くもとの生活に戻れますようにと祈りながら。

2011年3月25日

マグロのように泳ぎ続けるんだ!

週末にしっかり食べてサウナに行ってチャージしたおかげか
なかなかいい調子で仕事をこなしている今週のわたしです。

いつもこれに時間がかかるとわかったので
来週の出張のための出張費申請の手続きを超はやめにスタートしました。
職場の一番えらい人、Dr.テオジェン(ナイスミドルなできる男)が
なんとガーナに出張に言ってるというので
代理のいじわるドクターからサインをもらわなきゃいけなかったんだけど
なんかいろいろ嫌味を言うわけです、こやつは。
「この講習のためだけに4人?この人たちは他にやることはないのかね?」だの
「1日で17頭も移殖?集中力が切れて成功率が下がるはずだが。」だの。
彼は、ほんとは自分が担当することになってたプロジェクトを
ほったらかしにした結果、わたしに取られてねたんでるだけなので、気にしない。
わたしの後任ボランティアの活動があの男に邪魔されないことを祈る・・・(-_-
それから2ヶ月遅れの隊員報告書を仕上げ、
配属先の上司からその報告書にコメントをもらい、
先週の出張関係の書類を会計部のシャンタールに提出し、
もうひとつ、来週の妊娠鑑定トレーニングの講師を依頼されたので
その打ち合わせと配布資料の準備をして・・・

でも今週すまさねばならぬ仕事の中で一番の強敵、
「受精卵移植トレーニングの配布マニュアル作り」が終わらなーい!∑(; ̄□ ̄
うごぉぉぉぉぉ・・・週末返上でがんばらねば。
と言っていたら、上司からメールで
「第三期報告書を31日までに提出せよ」だって。
ぶひ。それは出張先で作ることにする。

再来週はさらに
別の妊娠鑑定トレーニングでも講師をすることになってるんだけど、
日本でいつも自分でやってた技術を教えるのは気がラクだし、楽しいです。
そういう意味で言うと、受精卵移植関係の仕事は○▼※△☆▲※◎★●・・・!?
いや、これも仕事だ!がんばっていきまっしょい。
村落開発の隊員たちなんて、
蜜蝋づくりだの水道ポンプの修理だの泥水の濾し方だの、
そういうわけわからん技術を村人たちに教えないといけない人もいて、
それでも孤軍奮闘、立派にがんばってます。
泣きゴト言ってる場合じゃない!


暗幕のない部屋でプロジェクター使うなんてナンセンス~。
カレンダーの裏にせっせと説明用の絵を描いてます。 英語がおかしいとか字が汚いとかいうのは気にしないでいただきたいっす。
赤ちゃんの顔がかわいくかけたので嬉しい。

2011年3月22日

週末はイソンベとサウナでパワーチャージ

金曜の夜は友達の自信作、イソンベ。
作るのに時間がかかるので、週末にどーんと作ります。
ざざっと作り方を説明しますと・・・

キャッサバの葉っぱを杵と臼でついてつぶしたものが市場で売られてます。


ゴンゴン杵を振り下ろしてるおばちゃんに、100フラン渡すと
それにピーマンとかセロリとかネギとかの香味野菜も加えてつぶしてくれます。
そのキャッサバの葉っぱペーストとぶつ切り牛肉を鍋に放り込み、水を加えて、
炭火の上に3時間くらい放置。
別の鍋で薄切りタマネギ&トマトをひたひたの油で炒め、
そこに水で溶いたピーナツ粉を投入し、乳化させます。
それを最初の鍋に一気に流し込み、塩を加えたら
あとはひたすら煮込みます。
肉が原形をとどめないくらいホロホロとくずれたらできあがり。
香味野菜とお肉のうまみが溶け出してめちゃめちゃおいしい~
見た目はちょっとアレだけどね・・・^^;

せっかくなので、土曜日は
3ヶ月前にルワンダに着任した新隊員を招待してみんなで食べました。
イソンベ&にんじん炊き込みごはん。
先月はちょっと調子悪かったけど、今やすっかり全快してるわたし。
ビールもおいしく飲めて、幸せです。

その日は聖歌隊の練習日。
とんでもないハプニングが待ってました。

指揮者が風邪でダウン。(最近雨で冷え込んでるからね)
で、代理の指揮者は・・・
唯一楽譜が読めるという理由で
このいつも存在浮きまくりのアジア人に白羽の矢が立ちました。-_-;
ボーン・・・
今日のリハーサルをひとりで仕切り、
翌朝のミサでは、その進行に合わせて9曲を指揮するんだと。

成人してから洗礼を受けたわたしは、
他のみんなみたいに赤ん坊のころからミサに通ってたわけじゃないので
ミサの進行ってものがぜんぜん頭に入ってなくて
これまでただ指揮者の指示に合わせて気楽に歌ってただけでした。
いざ指揮をするとなると、とんでもないところで指揮を始めてしまったり
歌が入るべきところなのに気づかなかったりするんじゃないかと
びくびくしながら翌朝を迎えました。

当日は、案の定どのタイミングで歌を始めればいいのかさっぱりわからず
メンバーに目で「ヘルプ!!」と訴えるわたし。
親切なメンバーが、歌が入るタイミングごとに背中を突っついてくれ、
わたしはその合図であわてて指揮台に上がり、歌が始まる、という
ものっっっすごく心臓に悪い一時間半を過ごしました。
あとで知ったのですが、
クレドとグロリアという部分では
歌が何番まであろうが全部歌いきらなきゃいけないらしいのですが
そんなことわたしが知るわけもなく、
指揮をしながら
「うーん・・・この歌はちょっと長すぎるな。よし、このへんで切ろう」
と勝手に3番までで終わりにし、歌を止めるわたし。
みんな真っ青。みたいな。

そんなスリリングなミサを終え、外に出ると雨がやんでました。
そういうストレスを感じたあとの帰り道って、寄り道したくなりませんか?
最近、雨で削られた泥の道を踏ん張りながら歩くせいで
靴が2足もぶっ壊れたので
いいのがあったら買おうと市場にふらりと寄りました。
たまたま、先進国からの援助品の横流しでいいものを見つけたので
1万フランってふっかけられたのを4千フランまで値切って買いました。

それからうちに帰り、友達を誘ってサウナへ。
最近ほんとに冷え込みます。
サウナは2000フラン。
場所によって、体に巻く布(男女混浴なので布は必須)がカビ臭かったり
ジンジャーティーのサービスがなかったり、
最後にあびるのがお湯じゃなく水だったり、
一番最悪なのは、お客さんの質が悪くて、変にからまれたり、と
ハズレなサウナもありますが、
最近見つけたホテルテックのサウナはけっこういいです。
そこで2時間ほど満喫し、
アカを落としまくり、つるんつるんになりました。
最近、断水続きでちゃんと体を洗えてなかったんだよなー。

で、うちに帰ってまたビール飲みながらイソンベを食べました。
冷蔵庫ないけど、毎日ちゃんと火を通せば3日くらいは平気。

そんな週末。

怒涛の一週間のために蓄えたエネルギー、何曜日までもつかな?
ほんと、最近仕事がとっても忙しいです。
うれしい。
でも考えることが多すぎて、お布団に入ってからも頭がチカチカする。

2011年3月18日

大臣がやってきた&出張

土曜日の夜。
来週は月曜日から出張だー!チェストー!
・・・って思ってたら上司からメール。
「明日9時にオフィスに集合。月曜日の農業省カンファレンスの準備をします」
なんだそのカンファレンスって。聞いてないし。
前日、いや当日になるまで大事な予定が知らされないのには慣れてるけど、
予定していた出張は当然のように延期。。。
(すでに2回延期されているんだけどね)

ってことで日曜の朝から、各デスクの責任者が集められて
事業成果をアピールするためのディスプレイ作り。
会議室では突貫工事で豪華なカーテンが取り付けられ、
昨日の雷で燃えてしまった電気制御盤が瞬く間に修理され(いつもは半年かかる)、
トイレには、トイレットペーパーが3つも補充され、(いつもはゼロ)
お花の香りの液体ハンドソープまで設置されてました。
ひえ~!

翌日、ついに鉄の女、農業大臣カリバタの登場。
するどい目つきと、むちゃくちゃな質問にみんなタジタジ。
いつも昼間っからビールばっか飲んでるダメ同僚が突っ込まれてるのは愉快だったけど。
そうそう、現地語でプレゼンと質疑応答したら(って言っても2分くらい)、
あとでトイレに行ったとき、廊下にいた来賓たちに
「こんぐらちゅれいしょん!!カリバタは君のスピーチでごきげんだ!」
って握手を求められました。
でもたぶんカリバタは
わたしのめちゃくちゃな現地語に笑いをおさえきれなかっただけだと思う。

ほっとひといき。
さて火曜日、今度こそ出張に出発。

フエ県にある国営実験牧場で
パラベット(高卒の無免許獣医)と獣医さん(こっちは本物?の獣医)を相手に
受精卵移植の初心者トレーニング。
いつものことながら、旅費の小切手がまだ発行されないだの、
突然、屠畜場に採血しにいくことになっただの、
家に忘れ物をしてきただので待たされまくり、3時間遅れで出発^^;
はーぁ。
でもいざ現地に到着して講義を始めると、
けっこうみんな意欲的に聞いてくれて、質問もたくさんして、
これはいい感じだぞ~!って思ってたら、
二人のパラベットが、「わたしたち金曜日にウムタラの大学で試験があるので
木曜のお昼にはここを出ないと・・・」と言いだしました。
は?じゃあなんでこの訓練に参加することに同意したの!?
と思いつつ、仕方ないので内容をいくつかカットして
4日間の予定を2日半で終わらせることになりました。

2泊3日の宿泊は牧場から40分ほどのところにあるブタレっていう町。
同僚のクレレの案内で、教会のシスターが経営している宿泊施設へ。
これがとっても新しくてきれい。
部屋はこんな感じ。

トイレと水浴び場は共同だけど、とにかく清潔だし、
施設の半分が大学の女子寮だってこともあってセキュリティもばっちり。
そして一泊3000フランなり~。超お得!
施設の周りには女子大生が常にウロウロしてるんだけど、
みんなほんとオシャレさん&スタイル抜群!
なんでみんな結婚したらあんなにブクブク太っていくんだろう・・・謎。

1日目は同僚たちと町外れの安いレストランで食事をして、
2日目は早く終わったのでひとりでブタレの中心街を散策して
この町に配属されている隊員と一緒におしゃれなレストランに行きました。
おしゃべりしながら、
キガリではめったに売ってないブルンディ産のビールや
ドラフトビールを次々と空け、
チーズとサラミのアソート、チキンスープ、ピザを平らげました。
なんせ前日の夕食が、切れかかった蛍光灯の下で
冷えてないビール&冷えたルワンダ料理、というものだったので・・・
(それはそれで好きなんだけど。)

ブタレはかつてルワンダが王国だったころから栄えていた町で、
なるほど、大慌てで作った感じのキガリの町とは違って
古いレンガ造りのバーや、植民地時代の建物をリメイクしたホテルなど
ゆっくりと丁寧に作られてきた歴史を感じる風景でした。
ブタレには国立博物館もあるので、
5月に妹がルワンダに遊びに来たときにまた一緒に行こうかなぁ。

話はトレーニングに戻って、
ここで有望そうな獣医の女の子を発見しました。
今年この国営牧場に採用になったばかりのDr.ドリ。 (下の写真、右端の子)
英語も流暢だし、質問も鋭いし、
1時間(ときには2時間も)平気で遅れてくる他の受講生と違って
始まる前から席について前日のノートの見直しとかしてるし!
「まずは人工授精の経験が必要なんだけどやったことある?」って聞いたら
見栄張ったりせずに「ありません」って正直に答えるし!
つまりはまったくルワンダ人らしくないのだ。
よっしゃー!わたしは残りの期間をこの女の子にかけるぜ!!
いや、あんまり期待しすぎは危険だ・・・ほどほどにね。

初めて取り入れてみたグループワーク。


最終日は受講生みんなと牧場の隣の村のバーにて
ブロシェット(ヤギの串焼き)とジャガイモで打ち上げ。



そんなこんなで、一昨日キガリに帰ってきました。
やっぱキガリはごみごみしてるな~ (-_-;

でも帰り道の車の中で、
学歴だけでここまできた経験値ゼロの同僚に技術を磨くチャンスをつくる
いいアイディアを思いつきました!
翌朝出勤してそのことを上司に話したら、珍しく賛成してくれたので
意外とうまくいくかもしれません。
(帰国前になって活動が充実し始めるって話、ほんとかも・・・)

2011年3月4日

ひっくるめ日記

なんか忙しくなってきちゃって、なかなか日記が書けずにいます。
雨季なので停電が多くて、
もともと亀のスピードのインターネット回線がさらに途切れ途切れになっちゃって
写真のアップロードがうまくいかない・・・(´3`)

でも、ルワンダにいられるのもあと3ヶ月とちょっとなので
いろいろさりげない日常でも覚えておきたいし、残しておきたい。
写真もない、ただの雑記帳みたいになるかもだけど、
これからは日々あったことを、簡単に記録していきたいと思います。
つまんなかったらごめんなさい^^;


前回の日記以降のできごと。

上司の奥さんのお父さんが亡くなって、同僚みんなでお葬式に参列しました。
ミサは市内のキチュキロであったからよかったけど、
埋葬はバスで首都から3時間の西部州キブイエ。
道中、見渡す限り山と谷しかないところで強烈な尿意が襲ってきて、
未舗装道路の振動でもう今にも漏れるんじゃないかと目を白黒・・・
やっと民家が見えてきたのでバスを止めて駆け込んだら、
地面に直径2メートルくらいの巨大な穴が掘ってあって、
そこに丸太がわたしてあるだけの超ハイレベルなトイレで、ちょっとひるみました。
壁もドアもなく、目隠しにバナナの木が傍に植わっているだけ。
バスで漏らすよりいいや!と思って、ぐらぐらとバランスを崩しそうになりながら
丸太の上にしゃがんで用をたしました。
バスに戻ると、ニヤニヤしながら「どうだった?」って聞いてくる同僚たち。
「トイレが高級すぎてびっくりした」って言ったら、みんな涙が出るほど大爆笑。
埋葬のときに村の聖歌隊が歌っている歌、いくつか知ってて一緒に歌いました。
村の、特にカトリックの埋葬はとにかく長い。50曲くらい歌ったんじゃないかな。




その数日後、
同僚が講師をつとめる「妊娠鑑定トレーニング」で、
同僚の代わりに講義をさせてもらいました。
ルワンダにはすべての市に
パラベット(高卒の“準”獣医)が配置されてて、
普段はこのパラベットたちが家畜の治療と人工授精をやってます。

今回、5月くらいまでかけて全部の市(400以上ある)のパラベットを
何回かに分けて集めて、全員に妊娠鑑定の技術を教えるんだって。
(っていうか妊娠鑑定できないのに人工授精やってたっていうのもすごい。)

さて講習会。
英語で話し始めたら、やっぱり年配パラベットの表情が暗い・・・
高卒で、しかもフランス語で教育を受けていた彼らは、
英語がほとんど理解できません。
・・・よし、現地語でやってみるべし!

みるみるみんなの表情が「なるほど~!」な表情に変わっていきました。
特にカレンダーの裏にカラーマーカーで描いて持っていった子宮の断面図とか、
二重にしたビニール袋に水を入れてやった
胎膜スリッピングテストのシミュレーションは好評で、
苦労して準備した甲斐があったなーと思いました。
ただ・・・
「俺、子宮が大きくなってたら妊娠!っていう簡単な診断方法しかできないんだ、
次の講習会でそのスリッピングテストとやらを講義しておくれよ」
と頼んできた同僚よ、
なぜにわたしの講義に同席しない?
外でケータイいじってんじゃねーよ!!ったく!

ふむ、やっぱり大学を出た同僚たちはプライドが高いのでしょう。
仕方ない、こっそり勉強できるように、簡単な講義マニュアルを作ってあげよう。


あ、それから、4月にウガンダ&ブルキナファソ旅行に出かけることに決めました。
旅行の一ヶ月以上前に旅行計画書をJICA事務所に出して承認してもらわないといけなくて
もう大慌て。
JICAボランティアは、それぞれ派遣されている国ごとに
「旅行に行っていい国、だめな国」が決まってます。
ルワンダ隊員が行っていいのは、
ケニア、ウガンダ、ニジェール、セネガル、ブルキナファソ、
モロッコ、フランス、ベルギー、あと日本。
西アフリカに旅行に行ったルワンダ隊員はいまだかつていないらしく、
ブルキナの渡航情報が乏しくて大苦戦しました。
どうにかギリギリでフライトも決まって、JICAからもオッケーをもらえました。
ウーッ楽しみ!どんな旅になるんだろう・・・
同期のさわちゃんと、りょうと、ハリーも一緒です。

それから、イザールっていう国営実験牧場で受精卵移植をやることになりました。
イザールの研究課長と話し合ったとき、「いつ始められる?」って聞かれたので
「明日にでもホルモン剤を調達します!調達できたらすぐ牧場に向かいます!」
って張り切って答えたはいいけど、
実はルワンダじゅうでプロジェステロン製剤が売り切れ中。。。
でもこんなチャンス、次はいつめぐってくるかわからないから、
必死になってあちこち電話かけまくって、走り回って、
隣国ウガンダからのルートでプロジェステロンを入手して電話したら
「なんて素敵なニュースだ!」ってびっくりしてました。
どうだ、これが日本人の仕事だ!
というわけで、
20頭のお母さん牛にホルモン剤を投与しました。
今月の31日にその中から状態のいいお母さんを17頭を選んで移植を行います。
ムサンゼの獣医隊員にヘルプ要請だー!


そして首都に帰ってきたらとんでもないニュースが。
日本でtsunamiだ!人がたくさん死んでる!とルワンダ人たちが騒いでて、
「どっかアジアの別の国と間違えてるんだろう」とか思ってたら
JICA事務所から
「日本にいる家族と連絡をとってください」って連絡が。
もうびっくりして家族みんなにメールしました。
すぐに「だいじょうぶ」って返事が来て、すこしほっとしたけど、
次々入ってくる悲惨なニュースを聞いていたら、
ぜんぜんほっとしてる場合じゃない!って思い始めました。

ルワンダ人たちは、
道を歩いているときも百科事典みたいな大きさのラジオを肩に乗せて
それに耳を傾けるほどラジオ狂いで、
ルワンダだけでなく、世界の情報にも敏感です。
「今日は日本の王様(天皇陛下のこと)が声明を出したらしい」とか
「原子力発電所がダメージを受けて危ないらしい」とか、逐一教えてくれます。

中学生のときに、洪水で
自分の家も、学校も、何もかもが泥水に飲み込まれてしまった経験があります。
大事な写真も、子供のときのビデオテープも、
新築の家に合わせて買った家具も全部だめになって、
そのうえ町中にあふれたヘドロの匂いがすごくて、
でも断水で水がないので掃除もできなくて、
白い防護服の人たちが消毒薬を撒きに来て、
ラクダ色の毛布が配られて、
お母さんは泣きながら、田んぼみたいになった家を片付けてて・・・
そんな光景が思い出されます。
今、被害に遭っている地域はもっと大変なことになっているはず。
想像するだけで胸が苦しくなります。

2011年2月27日

お葬式

友達の義姉であり、同僚の妹である人がエイズを発症して亡くなりました。
だんなさんもすでにエイズで他界していて、
写真左の男の子は孤児になってしまいました。


お母さん側の親戚が引き取ることになったみたいですが、それにしても不憫です。


人気歌手を起用した看板広告や、
「わたしは使います。あなたは?」と書かれたラッピングバスなどで
政府は盛大にコンドームの使用を奨励していますが、
貧困に苦しむ未亡人やシングルマザーが娼婦として感染を拡げていたり、
シュガーダディ、シュガーマミィと呼ばれる裕福な中年男性、中年女性が
お金に目の無い学生や若者を買春したりしていて、
なかなかコントロールが難しい状況のようです。


関連して、中高生の妊娠もあとを絶たず、地方の学校に勤める隊員が嘆いています。
わたしの家の警備員の娘さんも高校生で妊娠して学校を中退し、
職もなく、実家で何もせず暮らしていますし、
わたしが村落体験でホームステイしていたおうちにも
生まれたばかりの赤ちゃんがいて、
高齢のホストマザーが「わたしの子よ」と言っていましたが
おっぱいをあげていたのは未婚の長女でした。


夕方になると、みんな大人気のラジオドラマに熱心に耳を傾けますが、
内容はだいたい未婚の娘の妊娠とか、夫が外からもちこんだエイズだとか、
そんなのばっかりです。
放送時間の半分以上が女性の陰気な泣き声で占められていて
聞いてると気が滅入ります。。。
子供がこういうのを毎日聞いて育ったら、
こういうのが普通だと感じるようになってしまうんじゃないかと思うのですが、
一応、これは女性と子供を守る団体が作っている啓発ドラマなのだそうです。


いろいろと感覚が違うから、一概に何がいいとか悪いとか言えないし、
具体的になにをどうしたらいいのかわたしにもよくわからないのですが、
地方の女の子の教育レベルの向上、これはポイントのような気がします。

2011年2月22日

ヨーグルトと聖歌隊

突然、雨季が始まって、毎日さむいです。
このまま4月、5月の本格的な土砂降りに突入していくのかな・・・。

そんなこんなでちょっと体がトラブルを起こしてしまい、
保温&水分摂取を心がけ、アルコールは禁止、という日々。
処方された薬がけっこうパワフルなやつで、
食後に飲んでも、量を半分に減らしても、副作用で胃がむかむかするので
ヨーグルトを飲んでから、薬を飲むようにしてます。

ちなみに、こっちではヨーグルトは「飲み物」。
お店でカップ入りのを買うときも、使い捨てスプーンなんかくれないので、
みんな、ふたを開ける前に、思いっきりぶんぶんシェイクして、
ふたを開けたら気合いで吸い込みます。
ほぼ垂直になるくらい傾けないと流れてきてくれません。
今日は再検査のために病院へ行くバスの中で飲んだのですが
顔を天井に向けてヨーグルトを吸い込もうとするたびにバスが揺れて
その反動で手元が狂って大変でした。
教訓:バスの中でヨーグルトを飲むのはよくない。

食堂でヨーグルトを頼むと、
プラスチックタンクに入った自家製のをこんなグラスに注いでくれます。
これがスモールサイズで、200フラン。
でかいジョッキだと250フラン。
こうやって、表面張力を最大限に発揮してなみなみに注ぐのが流儀です。

薬のおかげでだんだん症状は軽くなってきてますが、
ばい菌と戦っているためか、やたらと疲れやすいです。

それでも週末はだいぶよくなったので聖歌隊へ。。。
二日連続、結婚式と日曜ミサで歌いました。
もともと教区の英語コミュニティー専属の聖歌隊なのですが、
新郎新婦からのリクエストもあって
結婚式では英語よりキニャルワンダ語の歌を歌う機会が多いです。
フランス語みたいに語尾の母音を発音せずに次の言葉の頭とつなげて発音するので
書いてあるとおりに歌うと、リズムに言葉が入りきれなくなってしまいます。
むずかしい・・・

でもいい気分転換になります。

最近、イルミネという女の子がアルトパートに入ってきて、
その子がなんか仲良くなれそうな感じの子なので、
練習に行くのが楽しみになりました。
明日も仕事のあと練習。
夜は冷えるので、あったかくして行こう。

2011年2月15日

すごく微妙

ちょっと前のことになるけど、
去年の11月に同僚たちが初めて練習で移植した受精卵は
残念ながら5頭とも受胎しませんでした。

本当は受精卵の入っていないダミーのストローを使って
練習用の安い牛で何度か練習した上でトライすべきなのですが、
苦労して準備した練習の機会はことごとくとんでもない理由でキャンセルになり、
突然降って沸いように訪れた実地練習の機会、
それがこの牧場での「いきなり本番!」の移植だったのです。
・・・当然の結果かもしれません。

しかし、この牧場は実験牧場でもなんでもなく、個人経営の牧場なので、
このまま妊娠していない牛たちをほったらかしにするわけにはいかず、
オーナーさんと話し合って、
フォローアップとしてもう一度、3頭の牛たちに移植を行うことになりました。

一頭はルワンダ人同僚が、2頭はわたしが移植しました。
本当は全部ルワンダ人同僚にさせてあげたかったんだけど、、
「今回は練習より成功率優先!」というボスからの命令があったので、しかたなく。

で、3頭の中の最後の牛に移植してから2ヶ月ほど経過したので、
さっそく昨日、同僚と妊娠鑑定に行きました。

ガタボコの土の道をゆっくり車で登ったり降りたりして、ようやく牧場に到着。
キガリは首都だけど、ちょっとメインロードをはずれるとすぐに赤土の道が現れます。

初めてこの牧場に来たときに案内してくれた、牧場チーフのルシェマが
3ヶ月の謹慎を終えて牧場に復帰していました。
これはありがたい!
(なんで謹慎処分を食らっていたかは不明ですが)
どの牛が誰、どの牛が妊娠何ヶ月、というのをはっきりと記憶しているのは
このルシェマだけだったのです。
彼は文盲ですが、牛の生態について非常によく理解していて、牛の扱い方も素晴らしく、
このルシェマがいたからこそ、
わたしはこの牧場でトライアルを始めることを決心したくらいです。
ところがわたしたちが計画をスタートさせたとたん彼は謹慎処分となり、
ルシェマ不在の状態で受精卵移植を実施せざるをえないわたしは
ものすごく不安でした。

実際、彼がいなくてとても大変でした。
他の使用人たちは、牛を識別できないくせに、牛を平気で殴ったり蹴ったりするし、
どの牛が妊娠していて、どの牛がいつ発情したか、という大事な情報を
一切覚えることができないのです。

「ルシェマひさしぶり!帰ってきたんだね!うれしいよ!
今日はウムチョと、イニェラミヒゴと、マンジ(牛の名前)の妊娠鑑定をしたいんだけど」

「帰ってこれて僕もうれしい。
ウムチョとイニェラミヒゴとマンジか・・・、あぁ、ウムチョは先週、流産したよ」

ほら、どの牛が誰、ってすぐわかるし、それぞれの牛のことが全部頭に入ってる。
さすがルシェマです。

・・・え?っていうか流産!?

がーん・・・
だけど、ということは、いちおう妊娠はしたんだ・・・。
一歩前進。
だけど流産とは・・・残念です。

あとの2頭は?と聞くと、すぐに「こっちだ」と案内してくれました。
他の使用人たちだったら、この「牛を探す」作業だけで30分かかったんだよなー。

さっそくイニェラミヒゴをチェック。
妊娠してる!!
でも妊娠81日にしては子宮がちょっと小さすぎる・・・妊娠40~50日くらいの大きさ。
なんで??

もう一頭、マンジもチェック。
やった、これも妊娠してる!!
こっちは妊娠78日なんだけど、それ相応の子宮。

しかしなぜにイニェラミヒゴの妊娠日数と子宮の大きさが合わないのだ?

もしかして、使用人たち、勝手にこの牛たちをオス牛と一緒にしたのかも!?
通常、メス牛が発情したら、ふだん隔離しているオス牛を連れてきて
そのメス牛と自然交配させるため、数時間一緒にします。
「でもこの受精卵移植を受けた牛は、オス牛と一緒にしたらだめだよ!
お父さんが誰だかわからなくなるからね!」
って言っておいたのに・・・

わたしの予想。
想定していたより子宮のサイズが小さいイニェラミヒゴは、
たぶん受精卵移植では妊娠しなかったんでしょう。
その5週間後くらいに自然に発情したときに、使用人たちがオス牛を連れて来て、
それによって妊娠したんじゃなかな。
そうすると計算が合います。

「オス牛と一緒にした牛はどれとどれ?」
と聞いても、使用人たちの答えはバラバラ。
さすがのルシェマも先週復帰したばかりで、当時のことは知りません。
ルシェマの後釜として新しく雇われたチーフは、
字は書けるけど牛を識別できないし、大事なことは記録していない。

だめだこりゃー!
せっかく妊娠してるけど、
これじゃ受精卵移植で妊娠したんだか、オス牛が乗っかって妊娠したんだか、
証明のしようがありません。

ルシェマが謹慎になってなかったら、
こんないいかげんな結果にはならずに済んだのに・・・。
うーーっ!!悔しすぎる!!
マンジにはジャージー牛の受精卵を移植したので
今年の秋にジャージー牛が生まれたら、移植で妊娠したってわかるけど、
イニェラミヒゴに移植したのはホルスタイン牛の受精卵。
受精卵で妊娠したとしても、オス牛によって妊娠したとしても、
どっちみち白黒もようの子が生まれてくるから、どっちかわかんない。
遺伝子検査は・・・もちろんここでは無理。


運転手が「そろそろ子供たちを学校に迎えに行かないといけない」と言うので
とりあえず牧場をあとにしました。
うーん・・・どうしたものか・・・
車の中でもモヤモヤ・・・

牧場からの帰りに小学校に寄って、子供たちを拾いました。
運転手の子供(真ん中)とそのお友達。
ピカピカの小学一年生です。
今日ようやく制服が支給されたらしく、初めての制服を着て、ごきげんです!
お父さんも、
「こりゃーすごい!まるで大人みたいだぞ!うれしいか?そうかそうか!
週末は写真屋さんに言って写真をとろうな!」
と大興奮でした。
この運転手のこんなに嬉しそうな顔、初めて見たよ。
子供が6人いても、ひとりひとりをこんなにかわいがるルワンダ人。
なんかすごくいいな、とあったかい気持ちになりました。

2011年2月10日

彼らもがんばってるなー

昨日、家に帰ってのんびりお昼ご飯を食べていたら
入札選考委員会のステファニーに呼ばれました。
先週開いた入札で
業者が提出してきた商品リストでわからないところがあるから見てちょうだい、って。

え?入札?

12月中旬にわたしが計画した入札、なんともう開かれたみたいです!
たった一ヶ月半で!
すごいハヤワザ!(去年なんて半年かかったのに・・・)
いやー、彼らもがんばっているではないか!うんうん。すばらしい。

この入札、700万フランくらいする機械と、
その他のこまごました消耗品(注射器とかホルモン剤とか)を購入するためのもので、
下手すりゃわたしがルワンダにいる間にはお目にかかれないんじゃないかと思って
特に急がないものばかりリストアップしておいたんだけど、
このぶんだと来月には届いちゃうんじゃないかな?
すごい。

でもざっと業者リストを見たところ、
またしてもわたしの嫌いな業者(めっちゃルーズ)が落札しそうな感じ・・・
提示価格は安いけど、どうしようもないようなものを送りつけてくるんですよ、ここ。
今回も、ひとつの入札に3つも商品を挙げてきて、「好きなのを選んで」とのこと。
機械の商品名だけで選べるわけないじゃん。
「この3つの商品の違いはなに?インストールされているプログラムってどんなの?」
と電話したら
「販売元に問い合わせてくれ」だって。
完全になめてるこのオッサン!怒

でもいくら憤慨したところで糠にクギ、なので
仕方なくドイツの販売元にメールしました。
早く返事が来てくれることを祈ります。

あーそれにしても、とんと雨が降らない。
蛇口からは一滴も水が出ません。
そして暑いです。
ビールが最高においしいです。
植民地時代にベルギーが統治していたせいか、生ビールがあるんです、この国。

週末はぜったい生ビール飲みに行こうーっと。
バレンタインだしね。(関係ないね)

2011年2月8日

イビゴーリの季節

前回の大雨季(去年の初秋)に植えたとうもろこしたちが
どんどんと収穫の時期を迎えています。

ルワンダとうもろこしと一緒に
日本から送ってもらったスィートコーンの種も植えたんだけど・・・
見て、この発育の悪さ^^; 右のワサワサしているのがルワンダとうもろこし、左のひょろひょろが日本の。

それでも水やりと施肥をがんばったら(わたしじゃなくてガルディアンが)、
こんなに立派なのができました!!じゃーん! 左の黄色いのが日本のスィートコーン。
比較のために、右の白いのがルワンダとうもろこし。

なんと日本のスィートコーン、生で食べてもシャキシャキ甘い!
感動のおいしさです。

ためしにルワンダ人にも食べさせてみたら
「なんだこれは!イスカリ(砂糖)がたくさん入ってる!!」って
びっくり、大笑いしてました。

いやー、種を送ってもらった甲斐があったなー。
この甘いとうもろこしをどんだけ食べたかったことか・・・
それに、
日本は車ばっかり作って農作物は何も作ってないんだろ、とか
日本の農作物は薬を使ってるからマズイんだろ、とか言うルワンダ人たちに
「日本の農作物もこんなにおいしいんだぞ!」って自慢したかったんです。



だけど、
ルワンダ人がいつも食べている、この硬くて甘みもへったくれもない白いとうもろこし。
(実は日本ではこの品種を家畜のエサ用に栽培してる・・・)
じっくり炭火で焼くと、これはこれで香ばしくておいしいんですよねー。
ついつい3本も4本も食べてしまい、あとでお腹が痛くなることもしばしば^^;
仕事帰り、おばちゃんたちが夕暮れの道端でとうもろこしを焼いてるのを見ると
よだれがたれそうに。。。

結局、なんだかんだ日本のものが恋しいと言いながら
いつのまにか「ルワンダのもの」に馴染んでしまっているわたしなのでした。

2011年1月27日

都会っぽいものに飢えていたのかな

もうすぐ2月になろうとするのに、
前回はお雑煮の写真なんか載せたノロマなわたしですが、
ようやく、エンドレスと思われた「毎日ブルー」から脱出したもよう。



きっかけは・・・

英語の勉強しようと思ってJICA事務所から借りてきた「Uptown Girls」を見たら
なんか急に元気になっちゃいました。

あほらしいくらいキラキラしたニューヨークの街と、
女の子(ダコタ・ファニング)の口達者ぶりがみどころ。
http://movies.foxjapan.com/uptowngirls/

今日はちゃんと7時に出勤して、
今週末、任務終了で帰国するJICAスタッフの飼っているねこちゃんズの
輸出許可書を用意しましたよ。
って、ほんとは昨日作ったんだけど、
それをスキャンして念のため日本の検疫所に送ってチェックしてもらったら
いくつかミスが見つかって、今朝はその手直し。
日本の検疫所はすごい!
送ったらその日のうちに返答がくるし、
いくつもある書類の細かーい数字まで ほんとに一字一句逃さずチェックしてる。
おそるべしジャパン・・・


・・・そんなすごい社会に復帰できるのかなぁ?

なんてぼんやりと考えている暇はなく、


気がつけば、帰国まであと5ヶ月になってしまいました。
やれそうなことはやっとこう。


ずっとやってみたかった習い事を始めるきっかけが到来したので
思い切って飛び込んでみようかと思っています。
なんの習い事かは、実際に始めてみてからご報告します。たぶん。




同僚のクレレに第二子誕生。あかちゃん白っ!!

2011年1月20日

どうもだめだね

ニューイヤーズデイは友達を呼んでまたしても鶏をさばき、
庭でとれたカブを入れたお雑煮も作って、

「今年はいい感じ!!」

なスタートだったのに・・・
まもなくモチベーション急降下!

朝、起きられない。
起きても仕事に行こうという気にならない。

ルワンダは、大晦日と元旦だけがお休み、という、やたら優しくない業務体制なので、
1月2日からがんばって仕事に出てみたものの、
どうしてもエンジンがかからなくて

「まぁまだ松の内だしね」

と自分で自分にフォローを入れ、
一週間はアイドリング、ということにしたのだけど、
なぜか二週目に入ってもぜんぜんだめで、
なんとかしなきゃ!ということで、
気分転換に、後輩隊員が住んでいるルフハという村を訪れてみました。


南部州にあるブゲセラ郡ルフハ市。
想像してたよりずっと田舎で、長時間の未舗装道路でお尻がいたくなりつつ、
バスを降りたら、やたら広いセンター街。
道の対岸同士が100メートルくらい離れてる。

閉まる直前の市場に行ったら
特産のジャポニカ米が首都の値段の半額で売られていたので2kgゲットしました。
お得~!
市場のひとたち、みんな「いなかの人」って感じでちょっとシャイ。

後輩隊員の家にはなんと!テレビもWiiも洗濯機も炊飯器もあって、
しかもあったかいシャワーが出ます。

ここは日本か!?

そして、もとホテル支配人な後輩隊員の作るうどんやらハッシュドビーフやらを食べ、
生まれて初めてWiiというものを体験し、
マリオカートがめっちゃおもしろくって、
最下位の12位から4位になるくらい上達しました。
それから一時間かけて湖を見にいき、その行き帰りで村人ライフをなんとなく観察。

どこもかしこもキャッサバばっかり植えてて、収穫したのが皮むいて干してありました。
それを杵と臼で粉にしてる親子がいたり、
あと、小枝と牛糞でじょうずに組み立てた養蜂かごを木の上に取り付けてる家があったり。
なんか丁寧な暮らしぶりに好感がもてました。
ひまわりを植えて油をとろうとしているおうちもありました。

そういうのを見ながらのんびり歩いて
薄暗くなるころ後輩隊員のうちに戻って、ビールを飲んで、
また夜更かししてマリオカートやって、翌日首都に帰りました。

うん、なかなか楽しい旅だったなー!
・・・と思いきや、

っかーーー!なんか全身が火照るようにかゆいっ!!

長距離バスに乗るとだいたい座席や隣の人の服からダニをもらうんだけど、
今回はそれに追い討ちをかけるように
後輩隊員の飼っているウサギさんたちからノミをもらったもようです。
このうさぎたち、耳がかぶれたり、びっこをひいたりする、と言うので
今回、実はその治療がてら遊びに行ったのだけど、
赤ちゃんうさぎがあまりにもかわいくて、抱っこしたりほおずりしたりしたんだよねー・・・
あれがいけなかったと思われます・・・。
ただいま、仕事しながらあちこちかゆくて大変です。

2011年1月13日

母と妹 in ルワンダ

ケニア旅行で合流した母と妹を連れて
ルワンダに帰ってきました。
(といっても2週間も前のこと)

いつもひとりで歩く道も
母と妹がいっしょだと、なんだか全然ちがう景色に見えます。

やたら広くてガランとした我が家も、
あっという間に母と妹が持ってきた荷物でごちゃごちゃ散らかって、
その中に妹が寝っころがっているのを見ると、なんか落ち着きます。

自宅、職場、火山地帯の湖、市場、カフェ、などなど
いろんなところに連れまわして、
おもしろいことがたくさんあったのけど、
今ここに書いてみたら
あんまりパッとしなかったので、消しました。

他の人が読んでも「あ、そう。」みたいな
そういう普通のことが、いちばん心に残った、ってことです。

見送るとき、予想してたほど寂しくなくて、ホッとしました。

あと6ヶ月、わたしはここでがんばります。

飼ってたニワトリをさばいて、唐揚げに。

日本からのおみやげ。雪だるまはLEDで光ります。ルワンダ人びっくり。