Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2011年6月23日

ただいまー!

すごいです。この暑さ。湿気!
まるでお湯の中を歩いているみたい・・・

ようやく日本に到着ですっ!!!
ただいまー!!

先輩隊員の帰国を見送りながらいつも
「わたしもこうやってルワンダを去る日が本当に来るのかなぁ?」
なんて思っていたけれど。

アフリカに初上陸して見るもの聞くものすべて想定外でオドオドしていた日々は
振り返ればそこにあると思っていたけれど、
気がつけばそれははるか昔。



エンテベ空港での乗り継ぎトラブルで
予定より1日遅れての到着です。
あのときはもうこのままアフリカ脱出できないかと思った!
さすが、最後の最後までやってくれるぜアフリカ!! ヽ(´▽`)/

今週いっぱいは帰国プログラム(いろんな手続きや健康診断など)のために
ここ東京にいることになります。
鹿児島に到着するのは26日(日)の予定。


とにかくね、すごいです。
まだお願いする前からすべて先回りして用意されているんです。
丁寧でてきぱきしたカスタマーサービス。
細かく言うとキリがないんですが
もうなにもかもが感動の嵐です。

でもやっぱりここで特筆すべきは
ごはんのおいしさ!!!

到着した翌朝、吉野家で朝定食を食べました。
卵と納豆をのせたごはんを口に入れた瞬間
なんかもう胸がいっぱいになって
涙がじわっと出てしまいました。
「おいしい・・・おいしい・・・」
とぼそぼそ繰り返しながら食べるわたしたち。

たぶんまだまだ感動は続きます。

2011年6月12日

送別会ウィーク

立て続けに送別会の日々。

まずは職場の事務の女性軍団と
その尻にしかれている獣医師たちが
うちに押しかけてきました。

女性陣、パクパク食べつつよくしゃべる。


プレゼントにもらった青いドレスをその場で着てみたところ。
みんな「ゆみ!すごく素敵だ!」と大はしゃぎ。
うれしいんだけど・・・日本で着たらちょっと変かも・・・?


お次は職場の別の同僚グループ。
わたしはひそかにこの人たちを「有閑マダムの会」と呼んでいます。
だってこのバー、入るだけで3000フランもチャージされるんです。
そんなとこ、ふつう入れないっす!
しかもウィスキーとか飲んじゃってるし!
ビロードみたいな生地の素敵な靴をもらいました。
さすが有閑マダムの会。
それから、「これはユミのお母さんに。」と、豪華な布地を手渡されました。


最後は聖歌隊のみんな。
ギスメンティの交差点の近くにあるレストランにて。
みんなほとんど学生なのに、この夜、わたしには1フランも払わせなかったんです。
なんて優しい人たちなんだ・・・
プレゼントのマグカップには、
「ユミはわたしたちにとって天からの恵みだ」
ってプリントされていて
わたしは帰宅してから泣きました。


あわただしい帰国前の日々。
片付かない荷物たち。
だけど心は決まってる。
わたしはこの国に必ず帰ってくる。

2011年6月9日

アバラは大丈夫

アバラ事件で心配のメールがたくさん来てしまいました。
ごめんなさい。

結局、気合いで最後の移殖を乗り切り、
その後、あまりにも痛いので病院に行きました。
JICA指定のプラトーポリクリニックにはレントゲンがないので
そこからまたバスに乗ってレントゲンセンターみたいなとこに撮りに行きました。

で、結論としては、アバラが二本折れていました∑(; ̄□ ̄ 
超びっくりー!
生まれて初めての骨折が
アフリカで牛に突き飛ばされて・・・だなんて予想もしなかったです。
いやーこれも思い出になりますね!
なんてのんきなことを言えるくらい、
今は痛み止めのおかげでだいぶラクになってきましたよ。

さて、そんなことやってたら
ルワンダ出発まであと10日になってしまいました。

職場の送別会はルワンダ式で、
見送られる側なのに家に押しかけられるシステム。
そしてごちそうしないといけない。
がしかし、今回はなんと同僚たちでお金を出し合って買ったらしい
「God bless you」と書かれたブロンズ像みたいなのと、
真っ青なドレスと、
それに合せる真っ青なピアスとネックレスとブレスレットと、
真っ青なバッグと、少しのお金が同封されたメッセージカードをもらいました。

いやーびっくりびっくり。
ブロシェット(やぎの串焼き)ふるまってよかった。

JICA全体の送別会では、
後輩隊員たちによる踊りや、替え歌や、似顔絵や、
わたしたち帰国隊員それぞれのイメージで作ったというデザートの披露や、
なんかもう盛りだくさんでとっても嬉しかったです。

そして、お仕事のほうは、
フィールドワークをすべて終え、
あとは後任に引き継ぐための書類整理やら、
器具棚のラベル貼りやら、
受精卵の出納簿の管理をストアキーパーに教えるのやら、
なんかそういうこまごましたことを楽しみながらやってます。
こういう作業、好きみたい。

そんな今日このごろです。
日本はジメジメしているのかな?
みなさん、もうすぐ帰ります。
元気で待っててください。

2011年6月6日

なにごとも経験です

この2年間、いくつもの結婚式に参列したけれど
これが最後の結婚式。
花嫁は同僚のエスタ。

午前中の儀式は「グサバ」、日本の結納みたいなものです。
新郎になる男性とその親族一同が、新婦になる女性の実家へ行き
「どうか我々にお宅の娘さんをください」とお願いするわけです。

参列者、何時間待たされても文句ひとつ言わず座って歓談してます。
3時間押し。

さあ始まりました。
まずは、新郎側と新婦側の親族同士による交渉スピーチ。
「おたくの娘さんをください。」
「大事な娘です。代わりに何をくれますか」
「牛を1頭差し上げます」
「いやいや、一頭では差し上げられません」
みたいなやりとりを長々とするわけです。

交渉が終わると、牛が運ばれてきて
牛を扱う聖なる爺さんみたいなのがひとりで歌って踊ります。
今回は牛を持ち込むのは省略したらしく、
聖なる爺さんが歌っている間、たびたび録音テープから牛の鳴き声が流れていました。
それが済むと、親族や関係者のスピーチ。
この間、家の中ではドタバタと花嫁やブライズメイドたちの着付けが行われます。





花嫁といっしょにブライズメイドたちの登場。



「え!え!チャイナがいるぞ!」
「見ろ!チャイナだ!」

騒然となる会場。
あちこちから向けられるカメラ。
とほほ。。。

それから指輪の交換。


このあと、花嫁から花婿&花婿の家族への贈り物贈呈、
それから花嫁と花婿によるファーストバイト(お互いにファンタを飲ませ合う)、
そしていくつかのスピーチで、いったんここはおしまい。

はゾロゾロと教会に移動して、そこで結婚式です。
さらにまた移動して披露宴もあります。
まともに最後まで参列すると、夜の8時、9時までいることになるから大変。

でも、この日は折れたアバラが痛むので、ここで退散することにしました。

結婚式の2日前に突然頼まれたブライズメイド。
当日は想定外のりかちゃん人形みたいな衣装に一瞬ひるんだけど、
まぁこれもいい経験・・・かな?

着付けの人に
「えー!この子、なんで体の前と後ろが同じなの!?これじゃドレスが下がっちゃう!」
って言われたけど、そんなのルワンダ人と比べられても困るよね。

エスタ、ありがとう。
いついつまでもお幸せに。