Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!
2011年3月25日
マグロのように泳ぎ続けるんだ!
なかなかいい調子で仕事をこなしている今週のわたしです。
いつもこれに時間がかかるとわかったので
来週の出張のための出張費申請の手続きを超はやめにスタートしました。
職場の一番えらい人、Dr.テオジェン(ナイスミドルなできる男)が
なんとガーナに出張に言ってるというので
代理のいじわるドクターからサインをもらわなきゃいけなかったんだけど
なんかいろいろ嫌味を言うわけです、こやつは。
「この講習のためだけに4人?この人たちは他にやることはないのかね?」だの
「1日で17頭も移殖?集中力が切れて成功率が下がるはずだが。」だの。
彼は、ほんとは自分が担当することになってたプロジェクトを
ほったらかしにした結果、わたしに取られてねたんでるだけなので、気にしない。
わたしの後任ボランティアの活動があの男に邪魔されないことを祈る・・・(-_-
それから2ヶ月遅れの隊員報告書を仕上げ、
配属先の上司からその報告書にコメントをもらい、
先週の出張関係の書類を会計部のシャンタールに提出し、
もうひとつ、来週の妊娠鑑定トレーニングの講師を依頼されたので
その打ち合わせと配布資料の準備をして・・・
でも今週すまさねばならぬ仕事の中で一番の強敵、
「受精卵移植トレーニングの配布マニュアル作り」が終わらなーい!∑(; ̄□ ̄
うごぉぉぉぉぉ・・・週末返上でがんばらねば。
と言っていたら、上司からメールで
「第三期報告書を31日までに提出せよ」だって。
ぶひ。それは出張先で作ることにする。
再来週はさらに
別の妊娠鑑定トレーニングでも講師をすることになってるんだけど、
日本でいつも自分でやってた技術を教えるのは気がラクだし、楽しいです。
そういう意味で言うと、受精卵移植関係の仕事は○▼※△☆▲※◎★●・・・!?
いや、これも仕事だ!がんばっていきまっしょい。
村落開発の隊員たちなんて、
蜜蝋づくりだの水道ポンプの修理だの泥水の濾し方だの、
そういうわけわからん技術を村人たちに教えないといけない人もいて、
それでも孤軍奮闘、立派にがんばってます。
泣きゴト言ってる場合じゃない!
暗幕のない部屋でプロジェクター使うなんてナンセンス~。
カレンダーの裏にせっせと説明用の絵を描いてます。 英語がおかしいとか字が汚いとかいうのは気にしないでいただきたいっす。
2011年3月22日
週末はイソンベとサウナでパワーチャージ
作るのに時間がかかるので、週末にどーんと作ります。
ざざっと作り方を説明しますと・・・
キャッサバの葉っぱを杵と臼でついてつぶしたものが市場で売られてます。
ゴンゴン杵を振り下ろしてるおばちゃんに、100フラン渡すと
それにピーマンとかセロリとかネギとかの香味野菜も加えてつぶしてくれます。
そのキャッサバの葉っぱペーストとぶつ切り牛肉を鍋に放り込み、水を加えて、
炭火の上に3時間くらい放置。
別の鍋で薄切りタマネギ&トマトをひたひたの油で炒め、
そこに水で溶いたピーナツ粉を投入し、乳化させます。
それを最初の鍋に一気に流し込み、塩を加えたら
あとはひたすら煮込みます。
肉が原形をとどめないくらいホロホロとくずれたらできあがり。
香味野菜とお肉のうまみが溶け出してめちゃめちゃおいしい~
見た目はちょっとアレだけどね・・・^^;
せっかくなので、土曜日は
3ヶ月前にルワンダに着任した新隊員を招待してみんなで食べました。
イソンベ&にんじん炊き込みごはん。
先月はちょっと調子悪かったけど、今やすっかり全快してるわたし。
ビールもおいしく飲めて、幸せです。
その日は聖歌隊の練習日。
とんでもないハプニングが待ってました。
指揮者が風邪でダウン。(最近雨で冷え込んでるからね)
で、代理の指揮者は・・・
唯一楽譜が読めるという理由で
このいつも存在浮きまくりのアジア人に白羽の矢が立ちました。-_-;
ボーン・・・
今日のリハーサルをひとりで仕切り、
翌朝のミサでは、その進行に合わせて9曲を指揮するんだと。
成人してから洗礼を受けたわたしは、
他のみんなみたいに赤ん坊のころからミサに通ってたわけじゃないので
ミサの進行ってものがぜんぜん頭に入ってなくて
これまでただ指揮者の指示に合わせて気楽に歌ってただけでした。
いざ指揮をするとなると、とんでもないところで指揮を始めてしまったり
歌が入るべきところなのに気づかなかったりするんじゃないかと
びくびくしながら翌朝を迎えました。
当日は、案の定どのタイミングで歌を始めればいいのかさっぱりわからず
メンバーに目で「ヘルプ!!」と訴えるわたし。
親切なメンバーが、歌が入るタイミングごとに背中を突っついてくれ、
わたしはその合図であわてて指揮台に上がり、歌が始まる、という
ものっっっすごく心臓に悪い一時間半を過ごしました。
あとで知ったのですが、
クレドとグロリアという部分では
歌が何番まであろうが全部歌いきらなきゃいけないらしいのですが
そんなことわたしが知るわけもなく、
指揮をしながら
「うーん・・・この歌はちょっと長すぎるな。よし、このへんで切ろう」
と勝手に3番までで終わりにし、歌を止めるわたし。
みんな真っ青。みたいな。
そんなスリリングなミサを終え、外に出ると雨がやんでました。
そういうストレスを感じたあとの帰り道って、寄り道したくなりませんか?
最近、雨で削られた泥の道を踏ん張りながら歩くせいで
靴が2足もぶっ壊れたので
いいのがあったら買おうと市場にふらりと寄りました。
たまたま、先進国からの援助品の横流しでいいものを見つけたので
1万フランってふっかけられたのを4千フランまで値切って買いました。
それからうちに帰り、友達を誘ってサウナへ。
最近ほんとに冷え込みます。
サウナは2000フラン。
場所によって、体に巻く布(男女混浴なので布は必須)がカビ臭かったり
ジンジャーティーのサービスがなかったり、
最後にあびるのがお湯じゃなく水だったり、
一番最悪なのは、お客さんの質が悪くて、変にからまれたり、と
ハズレなサウナもありますが、
最近見つけたホテルテックのサウナはけっこういいです。
そこで2時間ほど満喫し、
アカを落としまくり、つるんつるんになりました。
最近、断水続きでちゃんと体を洗えてなかったんだよなー。
で、うちに帰ってまたビール飲みながらイソンベを食べました。
冷蔵庫ないけど、毎日ちゃんと火を通せば3日くらいは平気。
そんな週末。
怒涛の一週間のために蓄えたエネルギー、何曜日までもつかな?
ほんと、最近仕事がとっても忙しいです。
うれしい。
でも考えることが多すぎて、お布団に入ってからも頭がチカチカする。
2011年3月18日
大臣がやってきた&出張
来週は月曜日から出張だー!チェストー!
・・・って思ってたら上司からメール。
「明日9時にオフィスに集合。月曜日の農業省カンファレンスの準備をします」
なんだそのカンファレンスって。聞いてないし。
前日、いや当日になるまで大事な予定が知らされないのには慣れてるけど、
予定していた出張は当然のように延期。。。
(すでに2回延期されているんだけどね)
ってことで日曜の朝から、各デスクの責任者が集められて
事業成果をアピールするためのディスプレイ作り。
会議室では突貫工事で豪華なカーテンが取り付けられ、
昨日の雷で燃えてしまった電気制御盤が瞬く間に修理され(いつもは半年かかる)、
トイレには、トイレットペーパーが3つも補充され、(いつもはゼロ)
お花の香りの液体ハンドソープまで設置されてました。
ひえ~!
翌日、ついに鉄の女、農業大臣カリバタの登場。
ほっとひといき。
さて火曜日、今度こそ出張に出発。
フエ県にある国営実験牧場で
パラベット(高卒の無免許獣医)と獣医さん(こっちは本物?の獣医)を相手に
受精卵移植の初心者トレーニング。
いつものことながら、旅費の小切手がまだ発行されないだの、
突然、屠畜場に採血しにいくことになっただの、
家に忘れ物をしてきただので待たされまくり、3時間遅れで出発^^;
はーぁ。
でもいざ現地に到着して講義を始めると、
けっこうみんな意欲的に聞いてくれて、質問もたくさんして、
これはいい感じだぞ~!って思ってたら、
二人のパラベットが、「わたしたち金曜日にウムタラの大学で試験があるので
木曜のお昼にはここを出ないと・・・」と言いだしました。
は?じゃあなんでこの訓練に参加することに同意したの!?
と思いつつ、仕方ないので内容をいくつかカットして
4日間の予定を2日半で終わらせることになりました。
2泊3日の宿泊は牧場から40分ほどのところにあるブタレっていう町。
同僚のクレレの案内で、教会のシスターが経営している宿泊施設へ。
これがとっても新しくてきれい。
部屋はこんな感じ。
トイレと水浴び場は共同だけど、とにかく清潔だし、
施設の半分が大学の女子寮だってこともあってセキュリティもばっちり。
そして一泊3000フランなり~。超お得!
施設の周りには女子大生が常にウロウロしてるんだけど、
みんなほんとオシャレさん&スタイル抜群!
なんでみんな結婚したらあんなにブクブク太っていくんだろう・・・謎。
1日目は同僚たちと町外れの安いレストランで食事をして、
2日目は早く終わったのでひとりでブタレの中心街を散策して
この町に配属されている隊員と一緒におしゃれなレストランに行きました。
おしゃべりしながら、
キガリではめったに売ってないブルンディ産のビールや
ドラフトビールを次々と空け、
チーズとサラミのアソート、チキンスープ、ピザを平らげました。
なんせ前日の夕食が、切れかかった蛍光灯の下で
冷えてないビール&冷えたルワンダ料理、というものだったので・・・
(それはそれで好きなんだけど。)
ブタレはかつてルワンダが王国だったころから栄えていた町で、
なるほど、大慌てで作った感じのキガリの町とは違って
古いレンガ造りのバーや、植民地時代の建物をリメイクしたホテルなど
ゆっくりと丁寧に作られてきた歴史を感じる風景でした。
ブタレには国立博物館もあるので、
5月に妹がルワンダに遊びに来たときにまた一緒に行こうかなぁ。
話はトレーニングに戻って、
ここで有望そうな獣医の女の子を発見しました。
今年この国営牧場に採用になったばかりのDr.ドリ。 (下の写真、右端の子)
英語も流暢だし、質問も鋭いし、
1時間(ときには2時間も)平気で遅れてくる他の受講生と違って
始まる前から席について前日のノートの見直しとかしてるし!
「まずは人工授精の経験が必要なんだけどやったことある?」って聞いたら
見栄張ったりせずに「ありません」って正直に答えるし!
つまりはまったくルワンダ人らしくないのだ。
よっしゃー!わたしは残りの期間をこの女の子にかけるぜ!!
いや、あんまり期待しすぎは危険だ・・・ほどほどにね。
初めて取り入れてみたグループワーク。
最終日は受講生みんなと牧場の隣の村のバーにて
ブロシェット(ヤギの串焼き)とジャガイモで打ち上げ。
そんなこんなで、一昨日キガリに帰ってきました。
やっぱキガリはごみごみしてるな~ (-_-;
でも帰り道の車の中で、
学歴だけでここまできた経験値ゼロの同僚に技術を磨くチャンスをつくる
いいアイディアを思いつきました!
翌朝出勤してそのことを上司に話したら、珍しく賛成してくれたので
意外とうまくいくかもしれません。
(帰国前になって活動が充実し始めるって話、ほんとかも・・・)
2011年3月4日
ひっくるめ日記
雨季なので停電が多くて、
もともと亀のスピードのインターネット回線がさらに途切れ途切れになっちゃって
写真のアップロードがうまくいかない・・・(´3`)
でも、ルワンダにいられるのもあと3ヶ月とちょっとなので
いろいろさりげない日常でも覚えておきたいし、残しておきたい。
写真もない、ただの雑記帳みたいになるかもだけど、
これからは日々あったことを、簡単に記録していきたいと思います。
つまんなかったらごめんなさい^^;
前回の日記以降のできごと。
上司の奥さんのお父さんが亡くなって、同僚みんなでお葬式に参列しました。
ミサは市内のキチュキロであったからよかったけど、
埋葬はバスで首都から3時間の西部州キブイエ。
道中、見渡す限り山と谷しかないところで強烈な尿意が襲ってきて、
未舗装道路の振動でもう今にも漏れるんじゃないかと目を白黒・・・
やっと民家が見えてきたのでバスを止めて駆け込んだら、
地面に直径2メートルくらいの巨大な穴が掘ってあって、
そこに丸太がわたしてあるだけの超ハイレベルなトイレで、ちょっとひるみました。
壁もドアもなく、目隠しにバナナの木が傍に植わっているだけ。
バスで漏らすよりいいや!と思って、ぐらぐらとバランスを崩しそうになりながら
丸太の上にしゃがんで用をたしました。
バスに戻ると、ニヤニヤしながら「どうだった?」って聞いてくる同僚たち。
「トイレが高級すぎてびっくりした」って言ったら、みんな涙が出るほど大爆笑。
埋葬のときに村の聖歌隊が歌っている歌、いくつか知ってて一緒に歌いました。
村の、特にカトリックの埋葬はとにかく長い。50曲くらい歌ったんじゃないかな。
その数日後、
同僚が講師をつとめる「妊娠鑑定トレーニング」で、
同僚の代わりに講義をさせてもらいました。
ルワンダにはすべての市に
パラベット(高卒の“準”獣医)が配置されてて、
普段はこのパラベットたちが家畜の治療と人工授精をやってます。
今回、5月くらいまでかけて全部の市(400以上ある)のパラベットを
何回かに分けて集めて、全員に妊娠鑑定の技術を教えるんだって。
(っていうか妊娠鑑定できないのに人工授精やってたっていうのもすごい。)
さて講習会。
英語で話し始めたら、やっぱり年配パラベットの表情が暗い・・・
高卒で、しかもフランス語で教育を受けていた彼らは、
英語がほとんど理解できません。
・・・よし、現地語でやってみるべし!
みるみるみんなの表情が「なるほど~!」な表情に変わっていきました。
特にカレンダーの裏にカラーマーカーで描いて持っていった子宮の断面図とか、
二重にしたビニール袋に水を入れてやった
胎膜スリッピングテストのシミュレーションは好評で、
苦労して準備した甲斐があったなーと思いました。
ただ・・・
「俺、子宮が大きくなってたら妊娠!っていう簡単な診断方法しかできないんだ、
次の講習会でそのスリッピングテストとやらを講義しておくれよ」
と頼んできた同僚よ、
なぜにわたしの講義に同席しない?
外でケータイいじってんじゃねーよ!!ったく!
ふむ、やっぱり大学を出た同僚たちはプライドが高いのでしょう。
仕方ない、こっそり勉強できるように、簡単な講義マニュアルを作ってあげよう。
あ、それから、4月にウガンダ&ブルキナファソ旅行に出かけることに決めました。
旅行の一ヶ月以上前に旅行計画書をJICA事務所に出して承認してもらわないといけなくて
もう大慌て。
JICAボランティアは、それぞれ派遣されている国ごとに
「旅行に行っていい国、だめな国」が決まってます。
ルワンダ隊員が行っていいのは、
ケニア、ウガンダ、ニジェール、セネガル、ブルキナファソ、
モロッコ、フランス、ベルギー、あと日本。
西アフリカに旅行に行ったルワンダ隊員はいまだかつていないらしく、
ブルキナの渡航情報が乏しくて大苦戦しました。
どうにかギリギリでフライトも決まって、JICAからもオッケーをもらえました。
ウーッ楽しみ!どんな旅になるんだろう・・・
同期のさわちゃんと、りょうと、ハリーも一緒です。
それから、イザールっていう国営実験牧場で受精卵移植をやることになりました。
イザールの研究課長と話し合ったとき、「いつ始められる?」って聞かれたので
「明日にでもホルモン剤を調達します!調達できたらすぐ牧場に向かいます!」
って張り切って答えたはいいけど、
実はルワンダじゅうでプロジェステロン製剤が売り切れ中。。。
でもこんなチャンス、次はいつめぐってくるかわからないから、
必死になってあちこち電話かけまくって、走り回って、
隣国ウガンダからのルートでプロジェステロンを入手して電話したら
「なんて素敵なニュースだ!」ってびっくりしてました。
どうだ、これが日本人の仕事だ!
というわけで、
20頭のお母さん牛にホルモン剤を投与しました。
今月の31日にその中から状態のいいお母さんを17頭を選んで移植を行います。
ムサンゼの獣医隊員にヘルプ要請だー!
そして首都に帰ってきたらとんでもないニュースが。
日本でtsunamiだ!人がたくさん死んでる!とルワンダ人たちが騒いでて、
「どっかアジアの別の国と間違えてるんだろう」とか思ってたら
JICA事務所から
「日本にいる家族と連絡をとってください」って連絡が。
もうびっくりして家族みんなにメールしました。
すぐに「だいじょうぶ」って返事が来て、すこしほっとしたけど、
次々入ってくる悲惨なニュースを聞いていたら、
ぜんぜんほっとしてる場合じゃない!って思い始めました。
ルワンダ人たちは、
道を歩いているときも百科事典みたいな大きさのラジオを肩に乗せて
それに耳を傾けるほどラジオ狂いで、
ルワンダだけでなく、世界の情報にも敏感です。
「今日は日本の王様(天皇陛下のこと)が声明を出したらしい」とか
「原子力発電所がダメージを受けて危ないらしい」とか、逐一教えてくれます。
中学生のときに、洪水で
自分の家も、学校も、何もかもが泥水に飲み込まれてしまった経験があります。
大事な写真も、子供のときのビデオテープも、
新築の家に合わせて買った家具も全部だめになって、
そのうえ町中にあふれたヘドロの匂いがすごくて、
でも断水で水がないので掃除もできなくて、
白い防護服の人たちが消毒薬を撒きに来て、
ラクダ色の毛布が配られて、
お母さんは泣きながら、田んぼみたいになった家を片付けてて・・・
そんな光景が思い出されます。
今、被害に遭っている地域はもっと大変なことになっているはず。
想像するだけで胸が苦しくなります。