Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2011年1月5日

マサイマラの主たち

他の人のブログを見ていて気づきましたが、今年はうさぎ年のようです。

先日、お店でパンを食べながらなんとなくテレビに目をやったら
CNNで日本のデパートの福袋売り場に殺到する人々のようすを伝えていました。
おしゃれした日本の若者がインタビューに答えているのをぼんやりと眺めながら
お正月ってこういうものだよなぁとしみじみ思いました。

マサイマラ2日目。

朝6時ごろ、まだ薄暗いテントの外から「メリークリスマス」という声が・・・。
キャンプのスタッフがあったかい紅茶とパウンドケーキを持って立っていました。
なんと素敵なモーニングコール。

紅茶であったまったら、すぐに着替えて車に乗り込みます。
防寒着は必需品です。
早朝サファリへ出発。

出発してすぐにドライバー兼ガイドのドミニクに無線で連絡があり
「ライオンが3日前に殺したカバを食べているから見に行こう」
ということになりました。
ハイエナやハゲワシが、ある茂みをじーっと見つめて待っています。
その茂みの後ろにまわると・・・いました、ライオンたちが・・・。
あたりに腐敗臭がたちこめて、
静かな朝のサバンナに、
ライオンの興奮した息遣いとうなり声だけが聞こえます。
インパラやガゼルと比べたら、カバなんておいしくなさそうですが・・・
このライオンたちは雄7頭、雌4頭の大きなグループですが、
カバの首を噛み切ることはできないので、
倒した後、上に乗っかって窒息させるらしいです。
しばらくそれを眺めたあと、車をまた走らせました。
そこからすぐの所で、同じグループの他のライオンたちがのんびりしています。
お腹いっぱいで幸せそう。

木陰で休んでいるボスライオンのところに、もう一頭の雄が近づいてきました。
ケンカするかな、と思っていたら、
おでことおでこでコツンと挨拶して、そのまま向かい合って座り、
お互いをグルーミングし始めました。
ドミニクによると、左がお父さんで、右が息子。
狩りの功績を称えあっているみたいです。
腐ったカバの匂いでちょっとダウンしかけた母でしたが、
お日様がさすころには元気になり、みんなで木陰で朝食をとることになりました。
キャンプを出るときにスタッフに渡されたかごを開けると、
コーヒー、紅茶、パン、ソーセージ、ゆでたまご、フルーツが入っていました。
開放的な朝ごはん。
おなかいっぱいになったら、国立保護区のゲートから少し出て、
マサイマラの主、マサイ族に会いに行きます。

有名なジャンプでお出迎え。
高く飛べば飛ぶほど、たくさんガールフレンドをゲットできるらしい。
少しずつ、挿す棒の太さを太くしていって、ピアスの穴を大きくしていきます。
カラフルなビーズがほんとによく似合ってて美しいです。

でも、こういう穴を開けていない若者もたくさんいました。
マサイ族も義務教育を受けるようになり、
子供たちは学校の先生から耳に穴をあけることを禁じられる、とのことでした。
ドミニクの耳に穴が開いていない理由がわかりました。


話には聞いていたけど、みんなかなりお金が欲しい感じでした。
50人ほどが暮らす小さな村が開放されていて、そこに入るのに20ドル。
その後も、ダンスに使った木の棒を買ってくれと言ってきたり、
オリーブとアカシアの木片をこすって火をつけるのを見せてくれたと思ったら
その木片を買ってくれと言ってきたり。
それも、少人数ずつ小さな家に招き入れて
狭くて薄暗いその家の中で「いくらで買ってくれるんだ?」と迫るのはちょっと・・・。
帰り際に手作りアクセサリーを売るのはいいと思うのですが、
その値段もびっくりするくらい高いのです。

去年の大干ばつでマサイの牛がたっくさん死んでしまったことは
当時、リアルタイムでラジオで聞いて知っていました。
義務教育が始まって、学費を払わないといけないことも、
携帯電話が流通して、その通話料金が欲しいことも
テレビやネットで見聞きしてました。
だけど、伝統を愛し、異文化の侵入を拒み続けてきた誇り高きマサイが
土地を奪われ、現代社会に迎合することを求められた結果、
このようなやり方でビジネスすることを選らんだこと、
目の当たりにするとやはり複雑な思いがしました。

彼らがラジオや携帯電話など現代的なものを必要とするのは自然な流れだと思います。
ルワンダでも、山奥に住んでる農民でさえみんな持ってます。
時代の流れとともに柔軟に、でも誠実に、生き方を選んでいけたら。
これは日本人にも言えることだと思います。 マサイの牛たち。

実はこれが見たくてここへ来たのでした。
ルワンダで飼われている牛とはやっぱり品種が違いました。
首の根元にラクダみたいなこぶがあるゼブ牛。
思っていたより痩せてなくて、なんか妙にホッとしました。
よく見ると、背中から太ももにかけて模様のような線が入っている牛や
耳に切りこみが入ってフリンジのようになっている牛がいます。
ドミニクによると、同じ村の牛はひとまとめにして放牧しているので、
どれが誰の牛がわかるように、
熱したワイヤーで焼印をしたり、耳を切ったりするそう。
牛とともに生きてきた彼ら。
牛の乳と血を飲み、牛の肉を食べ、それだけで命をつないできました。
住居の壁は泥と牛糞を塗り固めていて、
家から出てきたマサイの女性たちと握手したとき、牛の匂いがしました。
こういうところで獣医をするのはつらそうだな、と思いました。
牛と過ごしてきた年月も、その密度も、牛に対する思いも、
とうていかないそうにないからです。
わたしには牛の血を飲むことはできないからです。

ドミニクの運転する車でキャンプに戻りつつ、
ドミニクの住んでいる村のこと、家族のこと、牛のこと、
マサイマラ国立保護区内に住居を構えていたドミニクのおじいさんが
保護区を出る決心をしたときのこと、など
いろんな話を聞きました。

さて、キャンプに到着し、
あーあ、サファリもおしまいか・・・このお昼ごはんがここで最後の食事なんだ・・・
と思いながらダイニングテントに入ったときです。

ドミニクのお兄さんでもうひとりのガイドが飛び込んできました。
「レオパードが出た!すぐ出発だ!」
キャンプの白人スタッフも急いで車に飛び乗ります。
あたたかいスープの入った大きなボウルを運んできた給仕があっけにとられているうちに
宿泊客もみんな車に乗り込みました。
レオパードはめったに姿を現すことがないらしいのです。
猛スピードでレオパードのテリトリーに向かいます。

何度も車が横転するんじゃないかとヒヤヒヤしながら、ようやくそこへたどり着くと
きれいな一頭のレオパードが茂みから出てきました。

そのまま川辺に忍び寄り、体を低くして何かをじっと見ています。
その視線の先にいたのは小柄なインパラ。

このインパラ、ときおり振り返ってレオパードの方を見ているようなのですが
こちらもじっとして動きません。
狙われていることに気づいてないのか、逃げ出すタイミングを見計らっているのか・・・。
この状態が長いこと続きました。
テレビでよくこういうドキュメンタリーをやっていますが、これは忍耐がいります。
インパラが一歩踏み出したその瞬間、レオパードもスタートを切りました!
音もなく、サーーーッと風のように。

でも残念ながらインパラまでの距離を縮めることができず、逃げられてしまいました。
もう一度トライしましたが、また失敗。
私たちの車のせいで気が散っているのかもしれない、ということで、
木陰で息を整えているレオパードに別れをつげ、静かに退散することに。
でも、走る「ヒョウ柄」が見られて大満足でした。
ほんとうに美しかった!
車のルーフから顔を出して長いこと見ていたので、みんな日に焼けて真っ赤です。

キャンプに戻って、最後のお昼ごはんを食べ、
ドミニクの運転であの飛行場に向かいました。
夕方のフライトで首都ナイロビへ。

なんだか不思議な感覚でした。
ずっと前から知っていたような、でももう二度と来ることはないような・・・
何ともいえない気持ちで窓の下にひろがるサバンナを眺めました。
遠くの方で雨が降っているのが見えました。

2 件のコメント:

  1. こんにちは。
    写真キレイですねえ!
    草原のインパラ?とか、マサイのおじいちゃんの顔とか、
    ナイスショットですねえ。
    アフリカかあ、一度は行ってみたいですね。

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  2. >だぎん
    こんにちは!
    コメントありがとうございます。
    マサイのおじいちゃんじゃなくて「おばあちゃん」ですよー^^
    雨季に入りかけていたので少し薄暗い写真が多いのですが、
    インパラのはたまたま西日が差してきてよかったです。
    わたしは東南アジアにぜひ行ってみたいです。

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