Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2011年3月4日

ひっくるめ日記

なんか忙しくなってきちゃって、なかなか日記が書けずにいます。
雨季なので停電が多くて、
もともと亀のスピードのインターネット回線がさらに途切れ途切れになっちゃって
写真のアップロードがうまくいかない・・・(´3`)

でも、ルワンダにいられるのもあと3ヶ月とちょっとなので
いろいろさりげない日常でも覚えておきたいし、残しておきたい。
写真もない、ただの雑記帳みたいになるかもだけど、
これからは日々あったことを、簡単に記録していきたいと思います。
つまんなかったらごめんなさい^^;


前回の日記以降のできごと。

上司の奥さんのお父さんが亡くなって、同僚みんなでお葬式に参列しました。
ミサは市内のキチュキロであったからよかったけど、
埋葬はバスで首都から3時間の西部州キブイエ。
道中、見渡す限り山と谷しかないところで強烈な尿意が襲ってきて、
未舗装道路の振動でもう今にも漏れるんじゃないかと目を白黒・・・
やっと民家が見えてきたのでバスを止めて駆け込んだら、
地面に直径2メートルくらいの巨大な穴が掘ってあって、
そこに丸太がわたしてあるだけの超ハイレベルなトイレで、ちょっとひるみました。
壁もドアもなく、目隠しにバナナの木が傍に植わっているだけ。
バスで漏らすよりいいや!と思って、ぐらぐらとバランスを崩しそうになりながら
丸太の上にしゃがんで用をたしました。
バスに戻ると、ニヤニヤしながら「どうだった?」って聞いてくる同僚たち。
「トイレが高級すぎてびっくりした」って言ったら、みんな涙が出るほど大爆笑。
埋葬のときに村の聖歌隊が歌っている歌、いくつか知ってて一緒に歌いました。
村の、特にカトリックの埋葬はとにかく長い。50曲くらい歌ったんじゃないかな。




その数日後、
同僚が講師をつとめる「妊娠鑑定トレーニング」で、
同僚の代わりに講義をさせてもらいました。
ルワンダにはすべての市に
パラベット(高卒の“準”獣医)が配置されてて、
普段はこのパラベットたちが家畜の治療と人工授精をやってます。

今回、5月くらいまでかけて全部の市(400以上ある)のパラベットを
何回かに分けて集めて、全員に妊娠鑑定の技術を教えるんだって。
(っていうか妊娠鑑定できないのに人工授精やってたっていうのもすごい。)

さて講習会。
英語で話し始めたら、やっぱり年配パラベットの表情が暗い・・・
高卒で、しかもフランス語で教育を受けていた彼らは、
英語がほとんど理解できません。
・・・よし、現地語でやってみるべし!

みるみるみんなの表情が「なるほど~!」な表情に変わっていきました。
特にカレンダーの裏にカラーマーカーで描いて持っていった子宮の断面図とか、
二重にしたビニール袋に水を入れてやった
胎膜スリッピングテストのシミュレーションは好評で、
苦労して準備した甲斐があったなーと思いました。
ただ・・・
「俺、子宮が大きくなってたら妊娠!っていう簡単な診断方法しかできないんだ、
次の講習会でそのスリッピングテストとやらを講義しておくれよ」
と頼んできた同僚よ、
なぜにわたしの講義に同席しない?
外でケータイいじってんじゃねーよ!!ったく!

ふむ、やっぱり大学を出た同僚たちはプライドが高いのでしょう。
仕方ない、こっそり勉強できるように、簡単な講義マニュアルを作ってあげよう。


あ、それから、4月にウガンダ&ブルキナファソ旅行に出かけることに決めました。
旅行の一ヶ月以上前に旅行計画書をJICA事務所に出して承認してもらわないといけなくて
もう大慌て。
JICAボランティアは、それぞれ派遣されている国ごとに
「旅行に行っていい国、だめな国」が決まってます。
ルワンダ隊員が行っていいのは、
ケニア、ウガンダ、ニジェール、セネガル、ブルキナファソ、
モロッコ、フランス、ベルギー、あと日本。
西アフリカに旅行に行ったルワンダ隊員はいまだかつていないらしく、
ブルキナの渡航情報が乏しくて大苦戦しました。
どうにかギリギリでフライトも決まって、JICAからもオッケーをもらえました。
ウーッ楽しみ!どんな旅になるんだろう・・・
同期のさわちゃんと、りょうと、ハリーも一緒です。

それから、イザールっていう国営実験牧場で受精卵移植をやることになりました。
イザールの研究課長と話し合ったとき、「いつ始められる?」って聞かれたので
「明日にでもホルモン剤を調達します!調達できたらすぐ牧場に向かいます!」
って張り切って答えたはいいけど、
実はルワンダじゅうでプロジェステロン製剤が売り切れ中。。。
でもこんなチャンス、次はいつめぐってくるかわからないから、
必死になってあちこち電話かけまくって、走り回って、
隣国ウガンダからのルートでプロジェステロンを入手して電話したら
「なんて素敵なニュースだ!」ってびっくりしてました。
どうだ、これが日本人の仕事だ!
というわけで、
20頭のお母さん牛にホルモン剤を投与しました。
今月の31日にその中から状態のいいお母さんを17頭を選んで移植を行います。
ムサンゼの獣医隊員にヘルプ要請だー!


そして首都に帰ってきたらとんでもないニュースが。
日本でtsunamiだ!人がたくさん死んでる!とルワンダ人たちが騒いでて、
「どっかアジアの別の国と間違えてるんだろう」とか思ってたら
JICA事務所から
「日本にいる家族と連絡をとってください」って連絡が。
もうびっくりして家族みんなにメールしました。
すぐに「だいじょうぶ」って返事が来て、すこしほっとしたけど、
次々入ってくる悲惨なニュースを聞いていたら、
ぜんぜんほっとしてる場合じゃない!って思い始めました。

ルワンダ人たちは、
道を歩いているときも百科事典みたいな大きさのラジオを肩に乗せて
それに耳を傾けるほどラジオ狂いで、
ルワンダだけでなく、世界の情報にも敏感です。
「今日は日本の王様(天皇陛下のこと)が声明を出したらしい」とか
「原子力発電所がダメージを受けて危ないらしい」とか、逐一教えてくれます。

中学生のときに、洪水で
自分の家も、学校も、何もかもが泥水に飲み込まれてしまった経験があります。
大事な写真も、子供のときのビデオテープも、
新築の家に合わせて買った家具も全部だめになって、
そのうえ町中にあふれたヘドロの匂いがすごくて、
でも断水で水がないので掃除もできなくて、
白い防護服の人たちが消毒薬を撒きに来て、
ラクダ色の毛布が配られて、
お母さんは泣きながら、田んぼみたいになった家を片付けてて・・・
そんな光景が思い出されます。
今、被害に遭っている地域はもっと大変なことになっているはず。
想像するだけで胸が苦しくなります。

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