Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

2010年7月6日

おかえりダニ

ダニが5日ぶりに帰ってきました。
あのかゆいダニじゃなくて
わたしのうちの警備員の名前がダニなんです。

彼はここキガリからバスで6時間もかかる
コンゴとの国境の町、チャンググに
奥さんと10人の子供を残して出稼ぎに来ています。

わたしの庭で働き始めて一年、初めての里帰り。

現地語しか話せないし、
身なりもあんまりきれいじゃないし、
いっつも居眠りしてるし、
耳が遠いし、
とにかく気が利かない、
そんなダニですが、
やっぱりいなけりゃいないで寂しい。

満面の笑みで帰ってきたダニ。
「うちの奥さんが、休暇をくれてありがとうってこれを・・・」と
次々にかばんから取り出したのは、
古ぼけた小さな旅行かばんの半分くらいを占めてたんじゃないか、
というほど立派なアボガド。


これがまたちょうどいい熟れ具合で、
テキトウに切って、パンにのっけて、塩ふって食べたら
とろけるおいしさ!



これからはダニにもっと優しくしよう、そう決心した単純なわたしでした。

2010年7月5日

学校におじゃましました

キガリ市から東回りで北へ3時間半。
ニャガタレという町のセカンダリースクール(中学校&高校)で
数学と物理を教える同期隊員。
生徒たちは先生のことが大好き。
だけど日々の授業はほんとに大変そう。
実験道具や文房具はすぐ盗むし、
テストは0点続出だし、
採点して返ってきた解答用紙はすぐにポイだし、
授業はすべて英語で行われているのに
現地語しか解さない生徒もちらほら、
そしてなにより
同僚の先生たちがしょっちゅう授業をさぼるらしい・・・
悩んだ彼女は、生徒たちに「先生の出席簿」をつけさせ、
授業に来なかった先生を摘発して注意しているらしい。笑
これがチャイム。
ガンガン叩いて授業の始まりを知らせます。
給食室。
育ち盛りなのに毎日同じメニューです。
まずこのトウモロコシの粉を炊いたもの。
とくに味つけはナシ。
それにこのイビシンボ(煮豆)をかけて食べます。
以上。
全寮制なのですが、こんなのしか食べてないなんてちょっと心配。
給食が出るだけましなのかなー?

なにはともあれ、生徒たちは
のびのびとバスケしたり、
友達とふざけあったり、
寮で洗濯物をしたり
歌を歌ったりしてました。
いろいろめちゃくちゃだけど、
なんとかなる、なんとかやってる、そんな感じで
頼もしく思いました。

2010年6月30日

洗礼の祝日 (6月6日)

列の先頭に立って花びらを振りまく役の子たち。
美容院で大人なみのヘアメイクしてもらって、
一張羅のドレス着て、ウキウキです。
お父さんも気合入れてビデオカメラまわしてますよ(写真右側)。
この人たぶんめっちゃお金持ち。
教会での儀式のあとは、
みんなで手拍子して歌を歌いながら
ゆっくりゆっくり町をパレード。
炎天下、せまい道を埋め尽くす人の群れ。
ルワンダ人の歩くスピードはふだんから驚くほど遅いです。

ようやく教会に戻ってきたところ。
もうヘロヘロ・・・

このあと、初聖体を受けた子どものおうち2軒に招かれ、
どちらの家でもごちそうになっちゃって、
満腹&酔っぱらいなわたしでした。

2010年6月27日

時差はないけどテレビもない

想定外(?)の盛り上がりを見せているワールドカップ!!
こちらルワンダにいる日本人も
めちゃめちゃ盛り上がってますよー!

上の写真は日本×オランダ戦。

最後の最後、え?今のゴール入ったんじゃない!?
っていうのでぬか喜びしている瞬間。笑

そして先週のデンマーク戦。南アフリカとの時差がないので、
ゴールデンタイムに楽しむことができるのはいいのですが、
同時に行われる試合がカメルーン×オランダ戦ということで
当然、ルワンダ人たちはそっちを見たいわけです。
自宅にテレビを持っていないわたしたち隊員は
レストランやスタジアムに行って見るしかないので、
こうなったらどこかの店を日本人で占領してチャンネル権を奪おう!ということに。

いやー、そこまでして見たかいがありました。
日本チームにチャンスがめぐってくるたびに大騒ぎ。
どちらかに点が入りそうになるたびに絶叫。
この日のビールはルワンダで飲んだ中で一番おいしかった!

「さて、もう一杯ビール注文してこよー」と立ち上がるわたし。



2010年6月23日

二年生へ!


去年の今頃、わたしは中東のあたりを飛んでいました。
そして去年の明後日、ルワンダ空港に到着したと思います。

まるで日本の離島の空港のようなキガリ国際空港



一年目は長い。二年目はあっという間。
先輩隊員が口をそろえて言います。

きっとそうなんだろうなと思います。

いよいよ始まる二年目。
正直、期待と気合でワクワクです。

アフリカで暮らしたら、ワタシ別人になっちゃうかも!?

みたいな期待ははずれ、

あいかわらず、トイレットペーパーがないと嫌だし、
朝、水をかぶるとき息が止まりそうになるし、
大事なことをすぐ忘れるし、
騙されやすいし、
見栄っ張りだし、
やっぱりわたしは死ぬまでわたしなんだろうと思います。



ルワンダは好きでも嫌いでもないです。
ただ、「ホーム感」が日に日に増して、
日本のことを遠い外国だと感じたりする。



てくのろじーの国、じゃぱん。

みんなカンフーができるらしい。

空に「TOKYO」って書いてあるらしい。

これ、9割以上のルワンダ人が信じている伝説。笑



でもわたしもだんだん
それが嘘か本当かわからなくなってきています。

2010年6月21日

だめだぁ

計画書や提案書を出しても、
ミーティングしましょうと言っても
「忙しいからあとで!」の繰り返しだった上司が
ようやく
「大きな進展のないまま一年が過ぎようとしている」
ということに気付いてくれて
事態は好転し始めていたんですが・・・

あれもこれもと、華やかなプロジェクトはすべて自分が仕切りたい同僚が
完全に容量オーバーで
あらゆる作業が後手後手。
それでわたしの担当プロジェクトも再び頓挫。

ドイツの会社から届いた移植器とシースは
なぜか長さも太さも全然フィットしなくて
調べてみると、お互いの型番が合ってない!
メールで問い合わせると、
「この移植器とシースを一緒に使うとは思わなかったので・・・」
って、小学生みたいな言い訳が帰って来て
ひっくり返りそうになりました

また入札からやりなおし。

受精卵を扱う器具を洗うための専用の洗剤を注文したら
これでいいですか?と提示されたのが
皮膚病の治療のための薬浴剤。

いや、全然違います、実験器具を洗う洗剤です、
と伝えたところ、
何日かして再び提示されたのは
床磨きや洗車に使う洗剤と、
手を洗うハンドソープと、
動物小屋の消毒をする洗剤・・・

いや、だから入札書類にも書いてあるように
わたしたちが洗いたいのは車でも犬小屋でもなく、
細胞を扱う実験器具なんです!!
「laboratory detergent」で検索したらいっぱい出てきますから!
と念を押すと、

週明けの今日、
「ご希望の品は用意できないことがわかりました」
というかなり残念な連絡が・・・。
めんどくさくなったんだろうな。

4社に見積もりを出してもらうよう依頼したけど
この会社以外、音沙汰すらなし。
同僚は気がついたらガーナに行っちゃってるし、
頼みの上司は省庁からの呼び出しで東奔西走しててつかまらないし、、
あーあ、どうしましょ。


毎朝、庭のひよこにパンをちぎって投げながら
「あーあ・・仕事行きたくないよぅ・・・」とつぶやく今日この頃。

2010年6月15日

グセゼラーナ

グセゼラーナ=契約すること
つまり、市役所に行って、法的に夫婦として認めてもらう儀式。
結婚式や披露宴とは別の日に、前もって行います。
この日は4組のカップルが合同でこの儀式を行いました。
市長さんの長い長い長ーい講話。
夫婦とは・・・みたいな話。
狭い部屋に人がぎゅうぎゅうで、たまに意識が遠のきつつ、3時間。
講話のあと、新郎・新婦がそれぞれルワンダ国旗を握りながら
「この人を一生の伴侶とします!」と宣言します。
彼は、知り合いの美容師さん。
奥さんはまもなく臨月を迎える妊婦さんなので
ドレスがはちきれそう。
ジェノサイドで家族をすべて失った彼は、
この新しい家族の誕生を心から楽しみにしているみたいです。
エリゼ、おめでとう!!

2010年5月31日

イミシュクウィ(ひよこ)

卵を抱き始めてかっきり21日目に生まれました。
7羽(っていうより7個って感じ)のイミシュクウィ。
産んだ卵が全部孵るのは珍しいとのこと。
旦那さんのジャック(♂)がよほど優秀だったんだと思います。

そのジャック(♂)はどこへ行ったのかといいますと、

ローザ(♀)が卵を抱き始めてまもなく
お役御免となり、こうなりました。

鹿児島は奄美大島の郷土料理、「鶏飯(けいはん)」。
ササミを細かく裂いたのや、錦糸たまご、甘辛く煮たシイタケなどをご飯にのせ、
鶏がらと野菜で時間をかけてだしをとったスープをかけていただきまーす。
わたしがこの世で最も好きな食べ物です。

でもジャックは若鶏じゃなかったから、かなり硬くて顎が疲れました・・・。

2010年5月25日

なんかうまくいきすぎだと思った

あまりにも平和なルワンダでの日々。
やっぱりそうトントン拍子にはいきませんでした。


思い出すとまたくやしくなるので詳しくは書きませんが・・・
お金と携帯をだまし取られました。
盗られたことより、
ルワンダ人がそんなことをするなんて、という
ショックの方が大きくて、
それに知ってる人のいない夕暮れのバス停で
お金も連絡手段もない状態は
やっぱりこわかったです。
翌日、新しい携帯電話を買いに行ったら
悪いことは続くというか、
中国製のイミテーションをつかまされました。
頑として返品を拒むイジワル店主との戦いは
警察も巻き込んでまだ継続中。

数日はくやしくて涙が出たり
ルワンダ人を見るのも、キニャルワンダ語を聞くのもいやで、
初めて「もう日本に帰りたい」とか思ったりもしたのですが

JICA事務所の職員の方のあたたかい言葉や、
話を聞いて「ヨォォォー!」(ルワンダ人の同情の感嘆詞)と言ってくれる同僚、
肩を抱きながら涙を浮かべる友達、
これでファンタでも買いな、と2,000フラン札を差し出す同僚などに支えられ、
少しずつ元気がでてきた今日このごろです。

2010年5月20日

日本の農家さんを想う

ルワンダの話ではなく、
日本の畜産界を今、混乱に陥れている出来事について。

4月に宮崎県で発生した牛や豚の感染症、「口蹄疫」。
その後、感染の拡大が止まらず、
ついに昨日、
発生地域の全頭殺処分という局面を迎えたことを知りました。
4月下旬から
なかなかつながらないネットにイライラしながら
毎日のように発表される新規発生報告を
胸が詰まる思いで見ていました。

口蹄疫はウィルスによる感染症で、
熱が出たり、口の中や鼻先、足の先にミズボウソウみたいなのができて破れて、
それが痛くてご飯が食べられない、歩けない→衰弱していく、
という病気です。
人がかかることはありません。
たとえ口蹄疫を発症した動物と一緒に暮らしていても、
そのお肉やお乳を口にしたとしても、大丈夫です。
でも、人や車がウィルスを運んで
農家さんから農家さんへと感染を拡げてしまうことはおおいにあります。
また、口蹄疫ウィルスはタフなウィルスで、
風にのって何百メートル、何十キロと飛んでいって
離れた場所にいる牛や豚にとりつくこともできます。

そういったわけで防疫が難しい病気であるため、
もし一頭でもこの病気を発症した動物が見つかったら
それ以上あちこちの農家に感染が拡がらないように
そのおうちで飼われている牛や豚は
元気だろうがなんだろうが、一頭残らず安楽殺しなければならない、
と、日本の法律で決まっています。

殺処分を宣告する獣医さんの気持ち、
それを聞く農家さんの気持ち、
想像しただけで吐き気がしそうなほど苦しくなります。
月並みな表現ですが、大げさでもなんでもなく
牛飼いさんにとって牛はわが子同然です。

この一ヶ月あまりで100軒以上の農家さんで発症が見つかり
同じ敷地内で飼われているという理由で、10万頭以上の牛や豚に対して
殺処分が命令されました。
でも安楽殺した動物を埋める場所の確保が難しく、
殺処分の作業は今のところ2割くらいしか済んでいないようです。
もう安楽殺することが決まっているのに
お母さん牛は月が満ちたら赤ちゃんを産むし
えさだって食べます。
そんな牛たちを世話する農家さんの心痛も
もう限界に近いと思います。

さらに、この病気が発生した地点から
半径20km以内の地域は
牛や豚を移動させることが禁じられます。

牛や豚を移動できないということがどういうことかというと・・・

お母さん牛に赤ちゃんを産ませて
その赤ちゃん牛を売って生計を立てている農家さんは
赤ちゃん牛を売りに行くことができません。
その期間、収入ゼロです。

一方、子牛を育てて太らせてお肉にすることで生計を立てている農家さんは
太って食べごろの牛を売りに行くことができません。
その期間、こちらも収入ゼロです。
しかも、日本の肉牛はきっちり生後30ヶ月くらいで食べごろになるよう
計算しつくされたレシピのエサを食べているため、
お肉にするのがそれより早かったり遅かったりすると
商品価値がガクッと落ちます。

そして、売りに行くことができない期間も
もちろん牛たちはエサをたくさん食べます。
牛のエサは一日あたり300円から600円もします。
100頭飼ってたら一日3万円から6万円くらいの出費です。
この、いつまで続くかわからない移動制限期間のあいだ、
収入はゼロなのに
エサ代や光熱費などの出費だけはどんどんかさみ、
牛小屋を建てたり機械を買ったりしたときの借金の返済も待ってくれません。

また、口蹄疫の発生地域に出入りする車を消毒する
防疫対策チームの仕事も過酷です。
三交代で24時間、道路に待機して
往来する車に止めて、消毒薬をかけます。
でも、この深刻な状況を知らない一般の人の中には
わざとこの消毒場所を避けて迂回したり、
消毒薬がかかるのを嫌がって猛スピードで走り抜けたりと、
非協力的な人も多くいると聞きます。
また、ゴールデンウィークには
観光客がどっと宮崎におしよせ、そして帰っていきました。
その人たちもウィルスを運んでいる可能性があるのです。

他の地域の農家さんたちも
次は自分の町にウィルスがやってくるのではないかという恐怖と闘いながら
毎日、必死の消毒作業を続けます。

獣医師もウィルスを運ぶことがないように、
一軒一軒、診療着を着替えながらの往診です。
明日は自分が牛の口の中に水ぶくれを発見してしまうかもしれない、という
張り詰めた精神状態で、往診以来の電話にこたえて現場に出向きます。


・・・こうした防疫作戦にもかかわらず
今回、いろんな理由で感染の拡大が止められず、
ついに、発生地域のすべての農家さんの牛や豚を
予防的に殺処分することになったようです。
この決定でさらに約20万頭が殺処分リストに追加されることになるとのこと。

昨日の朝、読売新聞のネット版でこの決定を知り、
さすがに鳥肌がたちました。
いまさら意味のないこととはいえ
国の対応の遅さや、防疫体制のツメの甘さを呪わずにはいられないとともに、
どうか、こんなむちゃくちゃな状況でも
農家さんの心と体が無事でありますようにと願うばかりです。

生き物を飼うという生業は
こういう一触即発の危険と隣り合わせの仕事です。
それでも農家さんたちは牛を飼うのです。
雨の日も、雪の日も、お正月も、孫の結婚式の日も
夜明け前からエサをかついで牛舎に向かうのです。
そんな農家さんのひたむきな日々のうえに
日本人の豊かな食卓があるのです。
そのことをどうか心に留めていただきたいと思って
本来このブログで取り扱おうと思ってなかった分野のことですが
思い切って書きました。
ルワンダの農家の子