Recording in RWANDA ★ 落ち込むこともあるけれど、わたしは元気です!

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2010年9月3日

エキスポ!Expo!

予告どおり仕事の愚痴を書こうと思ったけど
なんか悲しくなってきたので
母親にメールで愚痴ることにして。
とにかくあと10ヶ月、焦らず、くさらず、前に進みます。


先週末は、ルワンダで唯一のお祭、エキスポに行ってきました!
ひろーいグラウンドのようなところに、年に一度大きなテントが立って、
その中を細かく区切って、それぞれの区画に予約した国内外の企業や住民グループが
自分たちのビジネスをアピールしたり、生産品を販売したりするためのブースを展開する、
そういう展示会のようなものです。

自分の活動に関係のある企業について情報が得られたり、
ルワンダ各地の住民グループが作っている手工芸品が一同に並んだりするので、
特に娯楽らしい娯楽のないこの国では隊員たちもこの期間を心待ちにしています。
紅茶会社のブース。
実際の紅茶の苗も並んでたり、入り口にはこんな凝ったモニュメントもあったりして
目を引いてました。
ルワンダティーは世界一おいしいんだ!とみんな言います。
そんなにおいしいお茶なら、沈んで層になるくらいお砂糖入れなくていいのにね・・・
まぁでも国産のものを誇りに思うことはいいことだな、とホッとしたりします。

ツーリズムがまだまだ未発達のこの国にも
キャンプ用品を扱う所があったなんてびっくり!
スタッフのお姉さん、くつろぎすぎだよー。


住民グループが所狭しと生産物を並べるブース。
村落開発普及員として活動する先輩隊員が村人たちといっしょに
トマトジャムを販売してました。
収穫時期に売れ残って市場で廃棄される熟しきったトマトを商品化するために
この先輩隊員が開発したものです。
買って帰って食べてみたら甘酸っぱくてパンにもヨーグルトにも合う!
もうひと瓶買えばよかった~。


サイザル麻を使った手工芸品もたくさん並びます。
ひとつひとつ丁寧に編んであるし、色も鮮やかで、
ついついあれもこれも欲しくなって大変です。

日が暮れてくると、特設ステージの上で口パクで歌い踊るパフォーマーも
ますます音源のボリュームを上げ、
見てる人たちもビール片手にノリノリです。
買って、飲んで、食べて、
日ごろの原始生活の憂さを晴らすように消費した一日でした。

2010年4月1日

ゴミの山の上で

UNDP(国連開発計画)という国連の機関から派遣されている水戸さん。
この方もルワンダの人々の暮らしを支える大事なお仕事をされています。
首都キガリ市から一日に排出されるゴミ120トン(トラック30~40台分)。
ゴミ焼却場のないルワンダでは、今のところまだ分別も進んでおらず
とにかく毎日運び込まれるこれらのゴミを
丘の上の処分場に積み上げています。
ここの運営・管理をサポートしてるのが水戸さん。
とにかくゴミと同じくらい問題も山積み。
去年まではこの崖からゴミを落としていたため、
生ゴミの発酵熱で紙ゴミに火がつき、斜面からは毎日のように炎と煙が出ていました。
基本的に、山火事にさえならなければこの発火現象はけっこうなことで、
つまりゴミが燃えて、ゴミの山がくずれて、
結果的にゴミの“かさ”がコンパクトになっていたわけです。
ところが、この斜面はキガリ国際空港から丸見えであるため、
「景観的によろしくない」
という政府からの命令で、発火を防止しなくてはならなくなりました。

そこで、この崖の上にゴミを薄く平たく積み上げることで発酵熱がこもりにくいようにし、
同時に「燃える」以外の方法でゴミの“かさ”を減らすために、
福岡大学の研究チームと協力して、
ゴミを微生物分解させる取り組みを始めました。

でもゴミの山を均(なら)すのに必要な重機レンタルの手続きが遅々として進まなかったり、
ミュンヘンと姉妹都市であるキガリ市が
ドイツからの勧めで別の方法の微生物分解システムを導入してしまったり
(ルワンダのゴミの量には適さないシステム、しかも高コスト)、
突然、農業省が重金属を含む農薬を大量に廃棄していったり、
植民地時代の建造物に含まれるアスベスト資材を半年で回収する!という政策のもと、
撤去されたアスベストがどんどん持ち込まれそうになったり・・・
(これは水戸さんが止めさせて、カナダから専門家を呼んで長期的な処理方法を模索中)
地下水汚染も心配の種。
ゴミから滲出する水分がこうして流れ出しています。
これが丘の下の貧困層のコミュニティに流れていっていました。
彼らはそのへんで汲んだ水をそのまま飲んでいます。
(そもそもゴミ処理場を丘の上に作ること自体が非常識!)

水戸さんは土を盛り上げてこの滲出水の流れを変え、
山の稜線にそってあみだくじのように時間をかけて降りていくようにし、
住民のコミュニティに達するよりずっと上で蒸発してしまうようにしました。
ルワンダの土は粘土質なので表層の水が地下水に浸透しにくいのが不幸中の幸い。

もちろん汚水処理施設があれば一番いいに決まってます。
でもスコップ一本さえ買うことのできない政府にそんな施設作れるわけがありません。
(ここの従業員が使っている3本のスコップは水戸さんが自腹で買ったもの)

また、今はゴミの70%が生ゴミだからまだいいのですが
消費文化の普及とともに、冷蔵庫や洗濯機といった処理しにくいものが
今後ゴミとして持ち込まれるようになり、
そうなるとまた別の問題も発生するだろうとのこと。

医療廃棄物もそのまんま・・・


システム自体にすでに問題山積のルワンダ行政において、
政府が十分に問題意識を持っていないであろう課題に取り組むなんて
ちょっと想像しただけで気が遠くなりそうです。

それでも、水戸さんは確実にそこにインパクトを与えつつあって、
なんて忍耐強く、冷静な方だろうと、ただただ驚くばかりでした。
主導権をあくまで当局側に置きつつサポートしていく
ということが
援助漬けのアフリカでいかに難しいかを目の当たりにした一日でもありました。

そしてもうひとつ。
「ルワンダでは、汚職や不正取引に対する取締りが他の国と比べて非常に厳しく、
それゆえに何を買うにも入札が必要。物品購入に時間と手間がものすごくかかってしまう」
という水戸さんのご指摘は
器具の検討、入札、購入だけでボランティア期間の3分の一がすぎてしまったことで
最近すっかり自信をなくしていたわたしをずいぶん元気づけてくれました。
プロがやっても半年かかるんだと知ってちょっと安心。
焦らず行こー!

2010年3月29日

償いの家

ここルワンダに数えるくらいしかいないJICA関係者以外の日本人。
その一人である佐々木和之さんのプロジェクトを訪ねました。

佐々木さんはエチオピアで10年以上もの間、
国際飢餓対策機構のミッションで農業指導をされていました。
そこで、せっかくの農村開発の成果が
戦火によって再びめちゃくちゃになるのを目の当たりにした経験から、
イギリスの大学で平和構築について学び始め、
大学院修了後、ルワンダにて紛争後の和解を進める仕事をされています。

ジェノサイドで傷害や殺人の罪に問われた人は35万人。
そのすべてを拘留し続ける経済的余裕のないルワンダ政府は、
自分の罪を認めた虐殺犯に関しては、刑期を短くし、
道路工事や土地開墾などの公益労働に従事させるという刑を適用しました。
(ジェノサイドを首謀し、民衆を扇動した人たちを除く)

でも、人里離れた山の中で「罰」としての公益労働に従事することで
本当に虐殺加害者の心に償いの気持ちは生まれるのだろうか?
一方、虐殺被害者はそれで本当に心の傷や、憎しみから開放されるのだろうか?
そんな思いから、佐々木さんは
ルワンダの牧師さんが立ち上げたNGOの職員として
「償いの家造りプロジェクト」というのを2005年から始めました。
それは、公益労働刑に処された虐殺加害者が、被害者の家族のために家を建てるプロジェクト。
“加害者を罰すること”以上に、“被害者が回復すること”を重視する考え方です。
加害者が罪の自覚を深め、出来る限りの「償い」に取り組む中で、
両者の関係修復を目指すのです。

すごいなと思ったのは、家造りにとりかかる前に実施される講習会。
グループカウンセリングなどである程度精神的に回復した被害者女性が
虐殺加害者の男性たちに、
自分の体験や今も続いている苦しみについて語り、
それ聞き、事実を真摯に受け止めることで、
彼らが虐殺に加担してしまった者の責任として、
誠意を持って事実を告白し、謝罪し、償いをする動機付けをするのです。

さらにすごいなと思ったのは、
刑期を終えた「家造りOBたち」に対しても、引き続き講習会を実施していること。
そしてその中で「家造りOBたち」が
「今後もボランティアとして、被害者家族のための家造りを続けていきたい」
と申し出てきたというから、ますますびっくりです。
実際に、元受刑者グループによる自発的な家造りは始まっています。
家造りの現場。
みんな真剣な表情で、黙々とスコップを動かし、セメントを運んでいました。
(家造りの資材は日本の支援団体からの援助で購入されています。)
この日はずいぶん暑くて、木陰で話をしてくれた受刑者の男性は
作業でかいた汗を拭きながら、
「罪を告白するまではずっと苦しかった。
この家造りは自分でしたいと思ってやっていることなんだ。
だから今の自分の心はとても平和なんだ」
とにこやかに語っていました。

わたしが想像していた「虐殺加害者」とまったく違う、穏やかで堂々とした姿。
家造りプロジェクトは、家を受け取る被害者の心の回復だけでなく、
参加する受刑者の心の回復にも役立っているのかもしれません。

自分がナタを振り下ろした相手が
実は自分や自分の家族と同じように、話し、食べ、笑い、泣く、
そういう「生身の人間」だったのだ、ということ。

自分の家族を殺し、自分にこんなひどいことをした相手も
実は自らの罪の意識に苦しむ「生身の人間」だったのだ、ということ。

罪を認めて、罰を受ければ終わり、というのではない、
この小さな国で、虐殺加害者と被害者が共に生きていくための
真の和解と共生のための取り組みは
これからも続いていきます。

2010年3月25日

メモリアル

ルワンダ各地にある虐殺記念館(ジェノサイドメモリアル)。
実際に行ったことがあるのは、
その中でもパネル展示が並ぶ博物館のようなところだけで、
今回のように、実際に虐殺の現場をそのまま残してあるようなところに行くのは初めてでした。

ンタラマの教会とニャマタの教会を訪れました。
ジェノサイドサバイバー(虐殺生存者)が
当時のことを話しながら案内してくれます。

これらの教会があるブゲセラという県は
もともと居住地には向かない深い森で、
フツ族による圧迫でツチ族の人たちが追い込まれた地域です。
'94年の大量虐殺は何の前触れもなしに突然起こったのではなく、
その何年も前からこういう地域を中心に
小規模な虐殺が繰り返されていました。
その度ごとに、教会は住民をかくまうシェルターのような役割を果たしてきたのですが
'94年のジェノサイドでは、逆にそうした教会が襲撃のターゲットとなってしまいました。

最低限の日用品を持って逃げ込んできた人々であふれかえる教会に
容赦なく投げ込まれる手榴弾。
押し入ってくる殺人鬼と化した人々。
振り下ろされる鉈(なた)、鍬(くわ)。

ニャマタの教会で話してくれた青年は、当時まだ小さな少年でした。
ここは、いっきに押し寄せてきた民兵によって
1万1千人が殺され血の海となった場所。
その中で生き延びたのはわずか7人。
彼はそのひとりでした。
その小さな瞳がここで見たことや、
彼がどうやって生き延びたか、という話は、
ここには書きません。
おびただしい数の被害者の衣服も、
もはや誰のものかわからない、ずらりと並ぶ大量の骨も、
壁に残る血痕も、
天井に星のようにあいた銃痕も、
なんだか現実のものとは思えず、ただ呆然と眺めるだけでした。
でも、あるものを見たとき、
ここで起きたことが急激にリアリティを持ってわたしに迫ってきました。

ボールペン、魔法瓶、サンダル、ノート、たらい・・・
教会に逃げてきた人たちがここへ持ち込んでいた日用雑貨です。

たぶん日本から来てすぐにこれを見たとしたら
「“昔の”日用品がほこりをかぶって並んでいる」ようにしか見えなかったでしょう。
でも、ルワンダに住んでいるから気づいたのです。
それらの日用品が
ルワンダでの“今”のわたしの生活の中に溶け込んでいるものと同じであることに。

どういうことかと言うと、
ルワンダのように自国に産業がない国は、ほとんどの雑貨を輸入に頼るしかなく、
そのような国に入ってくる商品というのは、
とにかく安っぽくて、デザインのバリエーションに乏しいのが特徴です。
国じゅう、どこに行っても同じ製品ばかり。

教会にころがっていたボールペンは、わたしが職場で使っているのと同じもの。
魔法瓶も、行きつけのお店でおばちゃんがミルクティを注いでくれるのと同じもの。
サンダルも、わたしがお風呂場で使っているのと同じもの・・・。
決して“昔の”日用品なんかじゃない、今もここのみんなが使っているもの。

だから、ほこりをかぶったその日用品を見たとき、
ジェノサイドは、つい先日起きたばかりの生々しい現実なんだということ、
もはやわたしにとって外国人ではなくなったルワンダの人々が
ここで心底恐ろしい思いをし、泣き叫び、血を流したのだということ、
そういったことが、はっきりと、肉感をもって伝わってきたのです。

出口で、記帳と寄付を求められ、感想を聞かれたものの
何を言えばいいのか、むしろ何を思えばいいのかさえわからず、
ありきたりな言葉をひとつふたつ残し、
麻痺したような頭をかかえて帰路に着きました。

2010年3月21日

少年兵


元隊員の加藤悦子さん率いるスタディツアー。
日本からの5名の参加者に混ぜてもらい、
’94年のジェノサイド以来、今も続く平和構築の歩みを見て回りました。
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とりあえず、ひとつずつ記録していこうと思います。
今日は帰還少年兵のための社会復帰支援施設。

ジェノサイド直後に、仕返しを恐れてコンゴに大量に流れ込んだ
フツ族を中心とするルワンダ人難民。
その中にいた少年たちが、
自分の意思、あるいは周りの大人たちの勧め、
あるいは拉致のような形で
抵抗軍の少年兵となり、
森の中でゲリラ生活を送っていました。


ここでちょっと横道にそれてコンゴに無数に存在する抵抗軍、民兵組織の話。
その資金源となっているレアメタルの非合法取引。
【レアメタルの恩恵にあずかっているのは誰?】
ジャングルの中に作られた秘密の飛行場。
そこへ買い付けにやって来るのは
「白い人」と「黄色い人」。
レアメタルの行き着く先は、わたしたちが大好きな薄くて軽いケータイ・・・

知らないふりしても
ここの人はみんな知ってる。
こんなところでも世界はつながってしまっている。


さて、少年兵の話に戻ります。
ルワンダ政府の武装解除・社会復帰委員会が運営するこの施設。
豊かな水をたたえるムハジ湖のほとりの爽やかな林の中にそれはあります。
ラジオ放送でルワンダ政府からの呼びかけを聞き、
森を抜け出して、MONUC(モニュク:国際連合コンゴ民主共和国ミッション)の協力で
祖国へたどり着いた少年たち。

ここで数ヶ月間、社会の一員として暮らすための練習をし、
職業訓練や識字教育を受けます。
人を殺すのは悪いことだということ、
働くのはすばらしいことだということ、
トイレはトイレでするということ・・・

それから委員会は、彼らを受け入れる家族や親戚、里親を探し、
はじめの2年間は少年の学費を援助します。
さらにその後も少年が学校へ通い続けることができるよう、
受け入れ家庭が現金収入を得るための手助けもします。
具体的には、商店を始めるための資金を援助したり、
家畜を飼い始めるための資金を援助したり。
これまでにここを卒業した少年の数は約750名。
コンゴに残る少年兵の数は未知数とのこと。
将来の夢はアーティストになること。
枕元にはたくさんの力作。
施設では、三度のあたたかい食事や、医療も提供されます。
そしてひとりひとつずつ、蚊帳つきの清潔なベッドも与えられます。
(これがどれだけすごいことかというと、
ルワンダの一般的な中学・高校の寮では
学生二人がひとつのベッドでくっついて寝るのが普通。)
「僕も撮ってよ!」と蚊帳の中から声が。
「だったら出ておいで」と言うと、
恥ずかしそうにに出てきました。
今いる32人の中ではこの子が最年少で13歳。

少年たちの生活は自治を基本としていて
年長(17、18歳)の数名が
自治会長や寮長などの役員をして
ルール違反や喧嘩がないように気配りしています。

少年兵、と聞くと、
シエラレオネの子ども兵のことがまず頭に浮かぶため、
目つきの鋭い、薬物中毒に陥った傷だらけの姿を想像していましたが
ここの少年たちは拍子抜けするくらい「ふつうの少年」たち。
HIV感染や薬物中毒も今のところないとのこと。
とはいえ、彼らが心に負った傷や、体験したおそろしい出来事、
そして森の中で暮らしている間に失ったもの、得られなかったものが
彼らの未来に与える影響は無視できないでしょう。
それでも、貧しい財政の中で彼らを援助しようとする政府、
「もっと勉強がしたい」という彼らのまっすぐな目、
それを信じたいと思わずにいられません。

2010年2月10日

土曜の朝の突然の展開

この週末うちに遊びに来いよ!と友達が言ってくれてたので
土曜日の朝、「今日か明日行こうと思うんだけど・・・」と電話しました。
すると思いがけない返事が。
「うちの奥さんがさっき赤ちゃんを産んだんだ!今からいっしょに行こう!」
え・・・?さっき産んだ?行くってどこに???

とにかく言われた待ち合わせ場所に行って
一緒にキミロンコの診療所に向かいました。
そこは一般的なルワンダ人が受診する、低価格の診療所。
わたしたち隊員はJICA指定の大きな病院しか受診できないので
こういうところに入るのは初めて。

通された部屋は、分娩待機室 兼 産褥室 兼 新生児室。
せまくてうす暗いコンクリートむき出しの部屋に、
ベッドが6つ、すきまなく並べられていて、
今日、赤ちゃんを産んだばかりのお母さんたちが
横になっておっぱいをあげています。
その中に混じって、悲鳴をあげながら陣痛と闘う、分娩直前の妊婦さんたち。

なんかすごいとこに来てしまったぞ・・・と思いつつ
友達の奥さんにあいさつをして、
からだは大丈夫ですか?何時間くらいかかったんですか?なんて話をしていたら
親戚の人がどやどやと訪れ、
みんなベッドで横になってる妊産婦を押しのけて座り、
もってきたお弁当をまわして食べ初めました。
すすめられたので、わたしもそのじゃが芋ピーナツ煮をモグモグ・・・
すると突然、赤ちゃんのおばあちゃんにあたる人が
赤ちゃんを抱いてその場で大声でお祈りを始めました。
みんな食べるのをやめて、目を閉じて一緒に祈ります。
突然の展開に、食べてたものをあわてて飲み込んで、わたしも目を閉じます。
人の熱気で部屋の中はサウナのよう。

お祈りが終わり、友達も仕事に戻るというので一緒に病院を出ることにしました。
奥さんは今日の夜か明日の朝には家に戻るとのこと。
たった一日で退院かぁ・・・。

やっぱりルワンダ人女性、たくましいです。
こんな状況でひとりで10人くらい産んでしまうんだから。

2009年11月19日

バナナ名人

この人がどれくらいすごいかと言うと
一本の木からバナナ150kgも収穫しちゃうのです。
ちょっと前の話になりますが
ルワンダ人獣医の友達といっしょに
山の中に住むバナナ名人に会いに行ってきました。
バナナってどの季節にとれるの?
一本の木から何回収穫できるの?
とまぁ基本的なことが何もわかっていないわたしでしたが
大統領のお墨付きのこのバナナ栽培名人に教えを請い、
いまや農業指導員として活動できそうなくらい詳しくなりました。
木と木の間隔、肥料のやりかた、植えるときの土の掘り方・かぶせ方
・・・うーん、奥が深いです。
わたしも自分のバナナファームが欲しくなりました。

2009年11月11日

こんにちは赤ちゃん

友達のDusabeが、先月出産したので
週末に会いに行ってきました。
赤ちゃんは大人と比べると肌の色素がちょっと薄いため、
どの親も“自分ちの子がいかに白いか”を自慢したがります。
ちなみにこの子は生まれて一ヶ月たつのに
まだ名前がありません。
ほんとにのんびりしてるなぁ・・・

2009年11月2日

えつこさん


ルワンダの牛の角はものすごい。
ひとかかえもある大きな大きな角。

大先輩の加藤悦子さん。
隊員としての任期を終えてからもずっと
自分で立ち上げた工房を切り盛りして
ストリートチルドレンたちを支え続けてる。
彼らがえつこさんに向ける信頼のまなざしに圧倒される。
角を輪切りにして、ひとつひとつ丁寧に磨いていく。
光にかざすと、角の模様が透けてベッコウみたい。
日本でも購入できます。
加藤悦子さんについてはこちら。